5月15日 (水曜日)  19:00から   東京文化会館  

 

アスミク・グリゴリアン        ソプラノ

カレン・ドゥルガリャン         指揮

東京フィルハーモニー交響楽団

 

お昼過ぎから、「主に日本歌曲講座」のレッスンで〈柳の歌〉を歌ってから、上野に向かいました。

遅い昼食兼、早い夕飯といった形でオムライス、コールスロー、ボルシチ 、コーヒーをつけてしっかり食べました。

 

その後文化会館の資料室で、とても若いムーティが振るハイドンの《天地創造》のレーザーディスクの後半を約1時間聴いてから、大ホールへ。( ルチア・ポップもメガネをかけて歌っていました。アライサも……)

 

1階席はまあまあですが、3階、4階のLとかRの座席の部分は少々空いていました。

まだあまり名前が知られていないからなのでしょうか。あの演奏会形式の《サロメ》はかなり評判が良かったと思うのですが。

MET.ライブビューイングの最後の演目が《蝶々夫人》で、できればそれを拝見、拝聴してから本物を聴く形であれば、イメージが湧くように思うのですが、私の場合今回が初めてなのです。

 

この方は、ちょっと変わった方のように思いました。

《ルサルカ》の序曲が演奏され、それに続けてこのオペラの1番有名な《月に寄せる歌》が歌われましたが、一曲目の途中にステージに登場されるのですが、黒のドレスにほとんどあまり目立つアクセサリーもされず、靴もベージュでした。

うーん、服装で目立たなくても歌で充分自分を発揮する自信があるのだ………

もちろん、この黒のドレスも彼女によく似合っていましたけれど。

左側に、長いスリットが入っていて、彼女が動くそこから美しい脚が見えていましたが。

 

休憩前の前半のプログラムでは、《エフゲニー・オネーギン》 の〈手紙の歌〉がドキドキ感を伴って彼女の持ち味を伝えてくれました。この幕を歌うタチアーナの 、憧れ、期待、のようなものが、彼女の声の持ち味とよくマッチしていたように感じたのですが。

( 《ルサルカ》と《エフゲニー・オネーギン》以外の曲をあまり聴いたことがなかったということもあるのだと思います。)

 

休憩後は、オールプッチーニプログラムでしたのでよく存じ上げている曲が並んでおりました。

さて、彼女とプッチーニの相性はどうなのでしょうか………

MET.でもデビューが《蝶々夫人》だったのですから。

《サロメ》で評判になった方とプッチーニはどうなのでしょうか。

《トゥーランドット》《マノン・レスコー》《蝶々夫人》からのアリアというのは、頷けるものがあったのですが、最後が《ジャンニ・スキッキ》から〈私のお父さま〉というのはちょっとびっくりしました。彼女がラウレッタ?

でもよくわかりました。

このアリアの最後の締めくくりの部分の声の、美しさ、長さ、弱音で空に舞い上がるようなお声ひと声を聴いて、「なるほどこれか……」と感じたわけです。

このために、普通の歌手がアンコールに歌う、短いアリアをプログラムの最後においたわけか。

Bプログラムの最後は《サロメ》なのですが、それと並んでもおかしくないものとした、位置付けの意味がよく分かりました。

 

かの、モンセラット・カバリエの〈私は芸術のしもべです〉の最後の音で、どこまで続くのだろうという、ピアニッシモの美しい揺るぎのない声で全世界の聴く者の心を捉えたように。

 

決して彼女の持ち味という歌ではないのですが、ああこういう風にこの歌を歌える歌手が世界に何人いるのだろうか……と感じさせるお声でした。

 

自分を最大限に生かす術をご存知なのですね。

17日も参りますので、もう一度改めて彼女の魅力をお聴きしてまいりたいと思います。

この方の豊かな才能を………