昨日、あんな雨の中、朝は整形外科の特別体操に申し込んでいましたので、そちらへ行き、一度家に帰ってからお弟子先生のところへ参りました。

 

お弟子先生のところから、銀座、王子ホールへ。

大先生の合唱団へ参加していらっしゃって、《マタイ受難曲》のソロもお歌いになった方のリサイタル へ参りました。

 

イタリアで勉強なさった方で、今は大先生のレッスンに通っているのです。

オペラのアリアなどを中心に勉強されていたようです。

イタリアで勉強なさった方はよくベルカントの歌い方でお歌いになりこういう声というイメージがあるのですが、この方のお声はちょっと違った感じを受けておりました。

 

《マタイ受難曲》のソロの部分といってもそんなに長くお歌いになる部分ではないのですが、そのお声だけ聴くと大先生がいつも目指されているお声と少しかわって聴こえていたのです。

まあ、いろんなキャリアがあればあるほど、それまでのお声の出し方とか歌い方を変えていくのはかなり大変なことなので、そこを目指されているのだろうなという印象を受けておりました。

 

イタリアで勉強をされている時に、ルーマニアの街のオペラ劇場でいくつかのオペラに出演なさっているようです。

昨日は、歌の合間にそういったお話をされながら進行されましたので、どういう形で勉強されてきたのかということがよく分かりました。

《蝶々夫人》《トロバトーレ》《ドン・カルロ》《オテッロ》などでお歌いになったようです。

やはり色々オペラのアリアは自分が取り組んでお歌いになったその時の経験や、積み重ねが感じられている印象を受けました。

《マタイ受難曲》などで歌われる時の印象とやはりかなり違って聴こえました。

自分なりの曲想というものができていらっしゃるのだなあと感じました。

今、大先生が教えていらっしゃる発声の方法を取り入れて歌っていらっしゃることがよくわかりました。ソプラノの方ですから高音の出し方は、頭声で歌われておりました。

ここは美しい声で歌われていたなあと思える箇所と、ここは今までこう歌われていたのではないかな……という箇所とそういう声が聴こえるのです。

今の若い方は大先生に最初から教えられた方は、よどみなく頭声に到達し、その声で統一されていてその上にその歌の持つキャラクターを出そうとされているのですが、この方はちょっと耳に違和感を伴って聴こえる時があるのです。

それまでのキャリアが邪魔をしてしまう時があるのでしょうか。

普通に聴いていれば、曲想の変化として受け取れるのかもしれないのですが、今頭声で歌うことを頑張っている私などには、少々音色が気になってしまうこととなるのです。

 

昨日のプログラムで、オペラのアリアで最初に歌われたロッシーニのオペラ《ウィリアム・テル》のアリア〈暗い森〉はとても懐かしい思いのする歌でした。あまりコンサートでは歌われる回数が少ないのですが、この歌は私の卒業試験の曲でした。したがって卒業の時のコンサートでもこの曲を歌わせていただいたのですが、あまりコンサートなどで歌われないアリアで、とても懐かしく聴かせていただきました。

 

その時代、卒業試験はこちらの大学では、歌もピアノもどちらもあり、また卒業論文も提出するという忙しさでした。

(このような有様でしたから、卒論は提出締切日のギリギリの時間に提出したという形だったと思います。教員採用試験にも合格していたのですから、卒業できて本当に良かった………)

という曲とは直接関係のないその時の気持ちが思い出されてしまいました。

 

昨日はこのアリアよりも《シモン・ボッカネグラ》の〈星と海は微笑み〉が音色の統一性があっって美しく聴こえてまいりました。

 

また改めて声の「色」ということを感じることができた一夜でした。