うーん、これはまたまた変わった演出。
贖罪の日々を過ごす、レオノーラがバックレディーで死ぬことになるとは……
ドン・アルヴァーロとドン・カルロが戦場で命をかけて友情で結ばれ、野戦病院に送られたりするとは……
その戦争の幕の始まりに、ヘリコプターの映像が映ったりするので。、どこからか、ワルキューレの騎行の音楽が聴こえてきそうでした。(地獄の黙示録 風な映像でしたので……)
この映像が、次の幕の内容に関わるヒントになっているのですね。
そして今巡り巡って時は流れて行く象徴が回り舞台なのだという説明でした。
以下、ネタバレ含みます。
これからご覧になる方はお気をつけて………
まず最初の場面から、レオノーラがイライラとタバコを吸いながらホテルの扉から出てくるのですから、まずびっくりです。
彼女の父親はもう何処かの国の独裁者風の設定で、パーティーが開かれているのです。
お祝いのケーキをレオノーラに食べさせようとしたりするのです。
こうしたやりとりで、その後うまく逃げられないで、一生の罪を背負う事になる状況が暗示されているのです。なぜそういったモタモタ感に取り憑かれたか……
そんなに父親に固執するなら、ドン・アルヴァーロを諦めれば良いのに。
ドン・アルヴァーロもまたそんなファザーコンプレックスの娘と一緒になってもうまくいかないということが、充分表されているように思うのです。
まあ元々このオペラの話がよくわかりにくいのです。
以前見たものは部分的に覚えているだけで、ヨーロッパの居酒屋で剣を使って斬り合いをするところとか、修道女の格好をしたレオノーラで、ステージも結構地味な感じでした。話の運びも悪く、何かダラダラっとしたイメージがあったように思います。
あの運命を表す旋律が全体を覆って、レオノーラの〈パーチェ 神よ平和を与え給え〉がやけに印象に残るオペラだと思っていました。
教会も戦争で壊れてしまった街の中にあり、レオノーラの父親も、銃の暴発で亡くなった事になっているので、お父さんの亡霊が出てくる時は、いつも背中を撃たれたそのままの姿なのです。
この父親役の方が修道院長も歌われているのです。
この2役を同じ方が演じることに意味があるとのことなのですが………
すみません。
かなり演習内容に触れてしまいました。
まだ3日間、上映期間が残っているのです。申しわけありません。
今回歌手の方の歌の水準、演技の水準がどちらも凄かったように思います。
この新演出は、今までの新演出という作品よりもよりリアルな細かいところまで考え抜かれたものだったように感じました。
つまり、この演出は、歌手の高い能力がなければ成り立たないものでした。
レオノーラ役のリーゼ・ダーヴィドセン、ドン・アルヴァーロ役のブライアン・ジェイド、ドン・カルロ役のイーゴル・ゴロヴァテンコの力が大きく、この歌手たちの熱演があってこそのこの上演だったように感じました。
特にテノールのブライアン・ジェイドさんは初めてお聴きしたように思いますが、この方の歌唱があってこその役柄だと思いました。
このかなり無理があるようにも感じる演出でしたが、いつの間にかその無理さ加減を超越して聴いていることを感じました。
いつもの新演出のものから受けるものと明らかに異なっておりました。