初日の17日は、《マタイ受難曲》のGPの日でした。

この春祭でまず1番にチケットを購入したものがこのチケットでした。

そしてこの日が私の春祭の最終日になりました。

 

なんだか今年の春祭は本当にいろんな意味で印象深いものでした………

 

やはりムーティのプログラムは人気が高く、満員の盛況でした。

演目も《アイーダ》でしたので私なりの聴きどころがございます。

 

ムーティはリハーサルや、合わせの時が本当に厳しいとのお話を聞いております。

ムーティのイタリアオペラのプログラムを私が聴き始めた最初の頃、演目は《リゴレット》だったと思いますが、歌手の方が軒並み調子が良くなくてびっくりしたことがあるのです。

ムーティのイタリアオペラでしたので、もの凄く期待したのですが。

 

どうもムーティは本番で歌う歌手を練習でもずっと歌わせて、練習の中でカバーの歌手に歌わせるということは、一度もしないそうで、それこそその歌手がその練習量に耐えることが出来なければ、結果は良くないわけです。そういう意味で歌手にとっては容赦のない厳しい指揮者のようです。

そういえば彼が振ったオペラで、イタリアで行なわれた練習に参加できなかった有名な歌手が、それが理由で日本の本番ではキャンセルになったことがありました。

そう言った姿勢を貫かれる指揮者なのですね。

 

歌手にとっては、発声に問題を抱えていたり、体調の管理ができていなかったり、練習があやふやだったりという要素が一つでもあったらムーティの指揮する公演では歌うことができないということなのですね……

そんな厳しさに耐えた歌手のみが彼の指揮で成功することができるのだろうなあ……

(今まで聴いた彼のプログラムで印象に残っているのは《マクベス》の時にマクベス夫人を歌われた歌手の方でした……)

 

うーん、私の中でこのオペラの1番のポイントはラダメスの歌う〈清きアイーダ〉。

昔、ウィーンのシュターツオパーで《アイーダ》を聴いた時、キャンセルになったラダメスの代わりにニューヨークから飛んできたテノールの方が、みごとにこの歌の最後の音で声がひっくり返ってしまった時から、私の中で聴きどころになりました。

その方のお名前も覚えていないのですが、その見事にひっくり返った時の声を聴いた時の自分の気持ちははっきりと覚えているのです。

それ以来、この演目のこの歌を聴く度にこの歌の最後をラダメスがどう歌うかが私の中の1番のポイントになりました。

そしてムーティがこの部分をどう歌わせるか……

今回のラダメスのガンチさんはフォルテで歌い切る形でした。

ムーティはこれでよしとしたのだ……

とちょっとがっかりしました。

 

お客様も、そのフォルテで歌いきった声に反応して、うわっと拍手にブラヴォーのお声……

まあ、これでも良いのかな……

フォルテで歌われる方が、テノールにとっても技術的に楽でしょうし、したがって失敗の確率も減りますし、その場面を立派に歌い切ることができるのですから。

でもヴェルディはこの部分をピアノで歌わせる指示でイメージしたのです。後奏のオーケストラの部分がそうなっていると思うのです。

決して、フォルテで歌いきった後に演奏される後奏ではありません。

良いお声ですし、フォルテで声を張るというところはなるほどとも思うのですが、実はこのだし方では、この歌のピアニッシモは難しいだろうな……とは思っていたのです。

それでもその弱音に挑戦できて成功したら期待以上の歌手だなあと思っていたのですが……

うーん残念!

アイーダ役のシーリさんは、良いところと良くないところがデコボコしている印象がありました、細く美しく声を出すところで時々、ハッとするところはあったのですが。

アムネリス役のマトーチュキナさんは、この役のメゾソプラノの方は良く低い声を「これでもか」と言った風に力で押すように出す方が多いのですが、そうではないお声でしたので、まず意外な感じを持ちました。その頭声に至る発声ができているので、この方は最後まで衰えることなく歌い切ることができたように思うのです。

演奏会形式で歌手が譜面台を置いて、指揮者の前スペースに並び、中途半端に演技をしない形で歌う並び方になっていました。

やはり目から入る要素もありますので、ちぐはぐにならない形で、なおかつムーティの指揮が堪能できる配置だったと思いました。