春祭に来るのが今回で5回目です。
《トリスタンとイゾルデ》(演奏会形式/字幕付)
レネケ・ルイテン(ソプラノ) & トム・ヤンセン(ピアノ) のコンサート
ワーグナー《ニーベルングの指輪》 ガラ・コンサート
ルネ・パーぺ (バス ) & カミッロ・ラディケ (ピアノ ) のコンサート
4回 聴いて来て、今回は イタリア オペラの《ボエーム》でした。
ワーグナーとリートの世界から、イタリアものの世界にやって来ましたので、ちょっと聴いて受け取るこちら側もちょっと変わった気持ちがしました。
演奏会形式と言っても皆さん自由に動き回り演技していらっしゃったと思います。
終わった途端に拍手の中から、「今回は皆良かったわよね……」というお声が聞こえてきました。出演された歌手の方の力がデコボコで、この人は良かったけれども、この人は聴こえなかったとかがなかった、不満を言いたい方がなかったということなのでしょう。
今回は4階L側の座席で、ステージ下手に椅子があって、そちらが視界から欠けてしまった感じで残念だったのですが。
まず登場された時、1日目を聴かれた方のブログにあったように、なかなか歌手の方の水準が揃っているなという感想は持ちました。なるほど………
聴いていて楽しかったですし、4階からもブラボーの嵐でした。
何度も聴いているオペラで、しかもミミのアリア、ムゼッタのアリアは昔自分でも勉強しました。
特にミミの2つのアリアは自分で何度も勉強し歌っていたものですので、親近感があるオペラです。( イタリアで、ディ・ステファノのマスターコースを受講して〈私の名はミミ〉で当日の朝のレッスンで、最終的に、終了演奏会への出演にダメが出たという曰く付きのアリアなのです)
やはりワグナーとはもちろん受ける印象が違いますし、発信する方も感じが違うのだと思います。
やはりよく聴くオペラであればあるほど、求めるものもなんだか厳しくなってしまうのでしょうか。
春の陽気で上野に着いたわけですが、舞台はクリスマスイブ、2幕は雪の季節、いつも冷たい手を温めるマフの存在………ちょっとそういう違和感もあったのでしょうか。
男声の方は、上着着用ですのでそう違和感はありませんが、ミミが両腕がノースリーブで寒いという表現をなさるので、まず「?」ムゼッタはオレンジ色のドレスであまり違和感はないのに何故でしょう………
ミミの方は、とても声を持っていて、もちろん声量的にも問題はないのですが、高音の弱音の響きが、頭声の細い響きの部分に入りきらずに、響きが散ってしまうように思いました。あれだけのお声をお持ちなのですから、その部分が改善されたら役柄も広がり、世界の「超一流」の歌手のお仲間になれるかもしれません。
ロドルフォも、中、低音域は、時々パヴァロッティ?と思うような声が聴こえてくるのですが、大きな違いは、あの輝かしい高音が無いのです。もちろん声が出ないのではないのですが、伸びやかに空間に広がっていく声が聴こえてこなかったのです。
高音でいつも短めに出され、一種の表現でそうなっているように工夫して歌われていたのですが、きっとパバロッティだったら、ここは伸びやかに響かせるだろうなと思う箇所もちょっと短めだったかな………
やはり、「世界の超一流」になるには、ここぞという時のあの伸びやかな、声の響きの体得でしょうか。
やはりたくさん聴いていればいるほど、耳はそういうものを無意識に欲してしまうのですね。
「世界の一流」にだってそうそうなれるものではありません。
それを超えて「超一流」になるのは大変なことなのですね。
今回、マルチェロ役の方のお声と、合唱団、オーケストラの熱量が心に残りました。
演奏会形式でありながら、オペラを見たような充実感を与えてくれた演奏ではあったように思います。