昨日の朝は本当にどうしようかと思うような雨でした。風も強く、雨の音が強くなったり弱くなったろしながら、だんだん強くなっていったのです。

一応出かける前に検索しましたら、どちらかといえばJR線の方が遅延表示が出ていましたので、いつものように、市営地下鉄、京急、大江戸線 という乗り継ぎでまいりました。

雨風がひどくなるという予報の時間に家を出なくてはならなかったので、レインコートに大きなしっかりした傘をさして、駐車場から地下鉄の駅まで歩きましたら、なんとリュックのファスナーのところから水が入り、楽譜が濡れてしまいました。ファイルに入れていたのですが、そのA4サイズよりもすこし大きめの楽譜もあり、その部分が濡れてしまったのです。

もう一枚ビニールの袋に入れなくてはいけなかったのですね………

今までこんなことはありませんでしたので、よっぽどひどい降り方だったのですね。

 

なんとハイドンの〈マーメイドの歌〉の楽譜です。水が水を呼んでしまったのでしょうか。

ちゃんと修繕しておかなければなりません。

スタートの電車は一つ早いものに乗ったのですが、結局乗り降りの人が多く、時間がかかるので、電車が少し遅れておりました。大幅な遅れではありませんでしたが、結局着いた時には、電車一つ早く乗った時間は消えておりました。

 

大先生レッスンが来週になってしまったので、マーラーがまだあまり、前回よりも伸びたところがはっきり聴こえるようにはなっていなかったので、来週の大先生レッスンには、まずハイドン2曲を聴いていただいて、「他の曲は?」と言われたらマーラーを見ていただきましょうとのことでした。

マーラーの最初の部分を歌ってみたのですが、「もう少し練習すれば今の段階よりももう少し歌えるようになるから………この段階で聴いていただいたら、ちょっと残念な結果になるかもしれないわね」とのことでした。

私も、いろいろ工夫して歌ってみているのですが、時々「こうなのかな」と思ったりする歌い方ができる時もあるのですが、きちんと秩序だって頭に入っていないというか、不確定なのです。

お弟子先生が「こうやって歌うと、同じ曲がまた全然違ったものに聴こえるわよ」と言って見本として歌ってくださるのですが、完全に頭声の部分に入っていなくては、そう言った声にならないし、息も長持ちしないのです。

そこで歌えると、綺麗な高音のピアニッシモで歌うことができるのですが……

 

昨日の新国立劇場の《トリスタンとイゾルデ》のイゾルデ姫の第3幕のお声が美しかったこと。

ちょっと第1幕は、高音の部分で違う音色の声が聴こえてくるようなところもあっったのですが、まだまだ伸び盛りのように思いました。

彼女の歌を聴いていましたら、今レッスンでやりかけていることは難しいけれども、やれないよりやれる方が良い。もう少し頑張ってみようとなぜか思ったのです。

 

そんなことを含めて、今回の上演は舞台装置も美しく、演出もペルシャとエジプトの兵士を足して2で割ったような格好の兵士の動きにはちょっと 「?  」の部分がありましたが、面白く思いました。

 

第3幕で、瀕死のトリスタンが牧童の笛の音に目覚め、イゾルデへの想いをのたうちながら吐露する部分。

「イゾルデが恋しくて 恋しくて 死ぬことができない」という言葉がなぜかグサっと来ました。

普通「恋い焦がれて死んでしまいそう」という言葉はよく聞きますが、「まだまだ未練があって

死ぬことができない」という言葉が、普通の発想の逆を言っているようで意外な気持ちがしたように思います。

 

もう午後はすっかり晴れて、朝の天気が嘘のようでしたが、この公演を聴くことができて良かったと思いました。

本日は上野へ。

演奏会形式ですが、昨日の《トリスタンとイゾルデ》を聴いた直後ですので、何かちょっと楽しみなのです。