昨日は、メンデルスゾーンの2重唱曲の練習に行きました。

2時間の予定で、音楽練習室を借りていただいておりました。

もうお部屋は空いていましたので、入室しても良いそうですが、音を出すのは決められた時間からとのことで、部屋に入ってまず打ち合わせをいたしました。曲の順番、原稿の書き方など。

対訳は、著作権のこともあり、歌う本人が書くようにというご指示があったようです。

曲の説明は対訳とは別に書くのだとのことでした。

 

もう1人の方が、ソロで歌う歌もメンデルスゾーンなので、メンデルスゾーンのことについてはまとめて書いてみるとのことでした。

資料があまりないので、ちょっとどうしようかと思っているとのことでしたが………

 

私の歌は、歌詞もそんなに凝っているものではないのですが、言葉からだけでは、どういう比喩なのかちょっとわからないところがあって、先日のレッスンで大先生に詩の内容について伺ったのです。大先生自身はこう考えるということを伺いましたので、その感じ方に従って歌う「こういう風になるのだと」いうことを教えていただきました。

その解釈は大先生の解釈であるので、他の方はまた別な考えのもとにお歌いになっている方もいらっしゃるとは思います。

私はその内容を私なりに噛み砕いて、私が歌えるように曲想を考えるわけです。

 

そんな打ち合わせをしている時に、2重唱のパートナーの方がハイドンの歌曲集のCDをお貸しいただけるとのお話が出てきたのです。

 

来年の夏のピアノ研究会もやはりロマン派以前の時代の作品がテーマですので、形としては割合シンプルなものが多いように思います。

さて古典派の作曲家として取り上げるハイドンの歌曲ですから、その特徴やこんなところが興味深いと思えるところを歌で表現せねばならないと思うのです。

 

先日、購入した音源を聴いて、3つの候補曲を選びました。

1番心を惹かれたものが、《6つのカンツォネッタ》の中の一曲なのですが、購入した楽譜の歌詞が英語で、購入したCDがイタリア語で歌われていて、迷ったところで留まっておりました。

 

昨日の2重唱の曲の練習も中途半端だったので、そちらを優先して練習しておかなければならなかったからです。

まあ、そういった中でも日曜日に購入した楽譜を月曜日、火曜日と見てきたのです。

選曲にはそれなりの理由があるのです。

来年の夏のピアノ研究会では60回という節目の年なので、私も連弾を弾くことになってしまっているのです。

したがって1人の持ち時間の半分を連弾に出して、歌の曲は一曲で5分程度の曲しか歌えませんので、一曲で充分存在感がある曲ということになります。曲の長さと内容を考えなければならなかったのです。

そんなことでウロウロ迷っているところでした。そこにアメリンクのハイドンの歌曲集の3枚組のセットのCDが出てきたわけです。

そしてそれを昨日持ってきて貸してくださったのです。

 

先日、門下会の曲の次に取り組む曲の相談になった時に、夏のコンサートのために古典派の作曲家の曲にしてほしいとお願いした結果、「ハイドンはどうだい?」と言われたのです。

実は私はモーツァルトを歌いたいと思って心づもりをしていたのですが、大先生にハイドンの歌曲と言われてしまったのだ、というお話をこの方にしていたのです。

そこで、何かの参考になればと思われて持ってきてくださったのです。

自分で購入するのをかなり高額だったので迷っていたのですが、やはりアメリンクの演奏は、「この曲にしたいなあ」と思わせるのに充分な魅力を持っておりました。

 

その後、この曲について検索しましたら、この詩を書いた方はイギリス人なのだということが判明いたしました。英語の歌詞にハイドンが曲をつけたようです。

アメリンクも英語で歌っているのですが、違和感は全然ありません。

最後の部分には、ちょっとしたカデンツァのような締めくくりの音形の部分も付いていています。

アメリンクの演奏が私の背中を押してくれたように思います。

あとは先生方のご了承が得られなければならないのですけれど………