この演目に脇園彩さんが出演なさるとのことを聞いた時に、これは是非聴きにいきたいと思いました。

直前に来日した、ローマ歌劇場のキラ星のようなスター歌手を聴くことを我慢してもこの《ノルマ》をお聴きしたいと思ったのです。

その時すぐにチケットを購入してどのようなアダルジーザを聴くことができるか、かなり楽しみにしていました。

今まで《ノルマ》は何回か聴いておりますが、これほど舞台が変わらない演出は初めてでございました。

焼け野原にも、砂漠にも、荒地にも、見える場所がこの《ノルマ》のすべての舞台になるのです。

幕が上がるとその場所に2人の人が倒れているのです。しかも白いシュミーズ姿の女性なのです。

どうもその方々はお亡くなりになっているようなのです。もうその時からちょっと違和感がありました。そのあと登場された合唱の方々が結局その荒野に倒れていた2人を運んでいくのです。その方々も戦闘服のような出で立ちなのです。

折しも、いまの世界の情勢がこのような時ですので、ちょっと胸にズキンとくる情景です。音楽は、あの独特な合唱の響きといいますか男声合唱とオーケストラの響きは《ノルマ》なのですが、目から入ってくるものがどうも違和感なのです。

なんだかそれからの演出がどうなっていくのかちょっとその目から入ってくる情景を危惧いたしました。

何しろ歌手の方々の熱演は後半にいくにしたがって、どんどん優っていくのに目から入ってくる有様は《ノルマ》というオペラの状況からどんどん離れていくように思うのです。

舞台の設定は結局その荒れ野の様相から変わらず、最後までそのままでした。

荒れ野に焼けた気が何本か杭のように残っているだけの舞台装置で、時々黒い幕で部分を書くすような幕が左右するのですが、これがまたよくわかりませんが。

最初はドルイド教とも関連していると言われているストーンヘンジのような場所なのかなと感じたのですが、そのまま話が進行していくのです。

 

戦闘服のようなものに身を固めたアダルジーザ、革のコートにライダーのような格好の《ノルマ》2幕の最初で足元に置かれた羊の首を切り生贄を捧げるようなノルマが出てくるのです。

ナイフを持ってそのまま舞台の前面に出てくると自分の子どもを殺そうとしている時なのです。

何ともそんな象徴的な場面を見せられても、そこはあの荒地のままの前に黒い幕の移動式衝立のようなものが動いてその前で、2人演技をするだけなのです。

出で立ちや周りの舞台装置などが一切その場面を想像させて、その音楽の助けになることを拒否しているようなステージでした。

ノルマもアダルジーザもかなりな歌唱力で、その場面を乗り切っていらっしゃるように思いました。

あれだけ白熱した演技をあの殺伐とした背景でなく聴くことができたら、かなり印象がまた変わったように思うのですがちょっと残念です。

解説にはノルマを歌われたフランチェスカ・ドットさんが暗めの声と書いてあったのですが、そんなに想像していたよりもノルマにしては少し明るめの声に聴こえる部分もあり、高音に至る時にも暗いばかりではない、この役の強さが表されているようにも思いました。

しかし、やはりこのオペラの1番の要は、アダルジーザの脇園彩さんだったと思われます。

今までお聴きしていた時よりも数段存在感を増した、歌唱力に少し驚きました。

今まで聞いた《ノルマ》では、アダルジーザはノルマよりも数段存在感がマイナスされていたようなイメージだったのですが、今回のステージでは、ノルマと同等、あるいはノルマ以上の存在感を示していました。

彼女がプログラムに書いたメッセージに「世界でいちばん勉強して歌い方を確立した、いま私がもっとも輝く役」と書いていたことがよくわかるものでした。

コロナ禍の期間自分の弱点を克服してきた成果がここに見事に花開いたという瞬間だったのかもしれません。

しかし、ちょっとこの演出とは別な形で、もう一度脇園アダルジーザをお聴きしたいようにもおもいました。

しかも、この《ノルマ》の演出は、あのか弱き椿姫を演じた、ステファニア・ボンファデッリ  だったのですね。ちょっと驚きました………