とうとう2023年の春祭が始まりました。

この土曜日は、朝から雨の日でした。

実はこの日、大先生の指揮で鹿児島での《マタイ受難曲》の演奏が行われる日で、何人かは東京で練習をされていた方がこの演奏会に参加されるために鹿児島へ。

この日は私には3つの予定があり、鹿児島行きは諦めました。

数多く歌っておく方が自分の身に付くのはもちろんなのです。

今回はそのかわりの練習をしっかりやるべく頑張っております。

東京での本番は1ヶ月後ですので、まずは来週のオーケストラとの合わせ練習でしっかりとその感覚をつかんでおきたいと思います。

 

昨日は朝からあちこちで自分の感性を刺激される日となりました。

とても興味深いのですが、少々疲れました。

まず、オペラ講座で町田へ。そこから桜木町に戻り、みなとみらいでオールリストプロのコンサート。それが終わってから、座っている時間が長かったので、桜木町まで歩いて足ならしをして、京浜東北線で桜木町から上野まで、ごとごとと各駅の電車に乗って行きました。(時間調整の意味もあって)

 

それぞれがなかなか興味深いプログラムだったのですが、全てをここに書くのは、まだ頭が整理されておりません。

今回はじめて経験したムーティの「作品解説」のことについて書いておきたいと思います。

何しろ、まず元気なムーティにお目にかかれてとても嬉しかったです。

そして雄弁です。若い方に自分が学んできたことを教えていきたいという意志が、彼の動き、お話、実際の指揮へとつながっていくのです。

 

自分でもおっしゃっていましたが、決して不遜な意味ではなく、自分がいろんな方から得てきたもの、教えられてきたものを次の世代の若い人たちに伝えていきたいのだというお話から始まりました。

「イタリアオペラ、特にヴェルディのものは軽く扱われ過ぎている」とのお話がまずありました。

オペラ界の扱いの中では、モーツァルトやワーグナーのものは割合神聖なものとしての扱いを受け、歌手のわがままでアリアを歌うことを許されないが、ヴェルディなどのイタリアもののオペラのアリアでは、テノールのアリアなどで歌手が自分の声を存分に伸ばしたりすることに対して指揮者は口を挟まない。そしてその歌に対して聴衆は拍手喝采を送っているのだということをお話されました。

また、近頃の演出に対して、例えば椿姫でヴィオレッタがベットで死ぬのではなく、薬の中毒で電車で死ぬ演出など、音楽はこうなのになんでそんな演出になるのか?とのお話が。

(私はその演出に関しては存じ上げませんが、先日同じこの東京文化会館での《トゥーランドット》の演出のや、心に引っかかっている幾つかの演出について思い浮かべることができました)

オーケストラを前にして、「じゃそれがどうなっているか演奏してみましょう」とのことで実際の演奏になりました。

客席の最前列には、このアカデミーの指揮者としての受講生と、若い音楽家による《仮面舞踏会》で歌われる方々が並んで座っていらっしゃいます。(28日のムーティの指揮で歌われる歌手の方はまだ来日しておらず、以前彼の指揮で同じ役を歌ったことがある方たちが来日されて歌われる予定になっているようです)

そういえば以前彼が指揮する歌劇場の来日公演で、ソプラノの有名な歌手が変更になったことがありました。理由が彼の指揮する最も大事な事前練習に参加することができなかったからとのことがありましたっけ………

それだけ彼の練習は細かく、様々な示唆に富んでいるのですね。

その一端を垣間見ることができました。

オーケストラのアンサンブルに関しても、楽譜に(100小節目)フォルテがいくつついているかを指摘して、(104小節目にはフォルテが2つついているのに)その差がないことに言及していました。そうして金管楽器が今のままの音量でそこを出してしまうと完全に弦の低音チェロやコントラバスの音色が何も聴こえなくなってしまうとのご指摘が。

ヴェルディ時代の金管楽器は、今のものより音量が出にくかったので、今のように消されてしまうことはなかったのだというご指摘がありました。

そのバランスについてのお話をして演奏されると、パッと変化していきます。

「ここのハーモニーは甘い感じで」などの言葉が色々散りばめられていくのです。

あらゆる感性を総動員して様々な言葉や動作で、指揮者としての働きかけをされているのですね。

19日から25日までリハーサルが行われるようです。

26日にはムーティが指揮をするGP。

27日は指揮の受講生が指揮をするGPとのこと。

 

こうやって緻密に作り上げてきた《仮面舞踏会》を聴くことができるのですから、幸せなことです。

この作品説明を聞かせていただけて良かったし、本番に対しての期待がまた別な面からもしっかりと高まったことは確かです。