年の初めにふさわしい内容を持った映画でした。

この映画の予告を見た時、これは見なければならい映画だと思ったのです。

この話の舞台はウェールズなのですから。

1月6日封切りとのこと。

先週の金曜日からだったのですが、10日やっといける時間ができましたので映画館へ行きました。

11日は私の誕生日なのですが、午前中に2重唱の合わせ練習が入っておりますので、今日の映画が自分へのお祝いのようにも思いました。

 

今まで生きてきた中で、様々な人と出会ってきたわけですが、その中で色濃く記憶に残っている人のことを思い出させる場所だったのです。

 

この映画のお話の内容は、競走馬を町の20人で共同で出資して育て、その馬が競走馬として立派に育ち、大きなレースに優勝するものです。一回障害物に足を引っ掛けて、「安楽死か」という大怪我まで負うのですが……

 

その素人集団で馬を育てようとする人たちがウェールズの町というか村の人たちなのです。

その人たちが、友人としてお付き合いをしたウェールズの人を思い出させるのです。

この人のことは何度かこのブログにかきました。

 

彼女の住んでいたところは、こちらの映画で出てくる町よりももう少し「町」の感じでしたが、住んでいる人たちの醸し出す雰囲気が、彼女の持っていた雰囲気にとってもよく似ているのです。

顔かたちが似ているのではなく、その醸し出す雰囲気といったら良いのでしょうか。

 

お話自体は、わかりやすくよくある感動秘話の形です。

もう健気に走る馬の姿、最後まで競り合って、一着で走り抜ける姿は本当にそれだけで感動します。

この話が実話に基づいて作られた映画だということも、それだけで胸に迫るものがあるのですが、その背景のウェールズの町の人々やその生活を見ていて、何か涙が出てきてしまいました。

ウェールズの人はあまり背が高くなくて、人が良いのです。そして音楽好き。合唱好き。

驚くときも心底驚き、その気持ちをたくさん表現してくれる人が多いのです。

 

洗練されているというよりは、心の暖かさを持った素朴な感じといったら良いのでしょうか……

 

彼女と知り合って初めて、ウェールズ語や、緑と白の縞の真ん中に赤いドラゴンのあるウェールズの旗を知りました。

あの島国の UK (ユナイテッド  キングダム)の中のどこの位置なのかということも初めて知ったのです。

そしてまた、飛行機で行くときは、ロンドンから行くよりもマンチェスターから行くほうが便利なのだということも、 彼女と知り合ったからこそ知ったことです。

そして、この映画でレースの前に、ウェールズ国歌が歌われ、参加者が全員で歌う場面も本当にウェールズらしいと感じたのです。

 

映画の主人公が昔、子どもの頃ドッグショーでもらった賞やメダル。

その後大人になってから鳩のレースで優勝したりしたその経歴を物語る写真や、賞状が壁に貼ってあるのです。

 

友人の彼女の家にも、息子さんがピアノのコンクールでもらった銀のお皿や、賞状が飾ってありました。

実はこの息子さんがお腹の中にいる時の写真から私は知っているのです。

生まれた後の写真も歩き始めた時や、何かの時に撮った写真をよく送ってくれていました。

最後の写真はケンブリッジに合格した時に抱き合って喜んでいる写真だったと思います。

 

息子さんがちょうど中学生ぐらいの頃、彼女のウェールズの家に遊びに行ったのです。

夏休みでしたが、ちょうど休みの前の健康診断で私は要再検査と診断されていた年でした。

そんなこんなでその時に思い切って出かけなければ、行きそこなっていたタイミングだったと思います。なぜかその年にいかねばならないと思って、ウェールズまで出かけたのです。

 

明るくて感激屋の彼女でしたが、日本ではやはりいろんなことに出会い、子どもを連れてウェールズに帰ることになりました。

帰国する春のまだ寒い頃、神戸に会いに行った時には彼女の話を聞いて、後から後から涙が出たのを覚えています。友だち同士で琴線に触れる話をしたことってあまりないのですが、彼女は特別だったのだと思います。

そんなことをこの映画を見ながら、どっと思い出していたのです。

 

この馬がレースで勝って、その馬主たちがその町に帰ってきた時に、ブラスバンドが繰り出し、町中で出迎えるお祭り騒ぎになったのですが、そんな様子も胸にグッときました。

彼女は、ウェールズの合唱祭のボランティアをしていたそうで、「今度来るときはその合唱祭の時に来てね」と行っていました。

そんな約束が果たせないまま彼女は病気で亡くなりました。

 

そんなことがこの映画を見ながらどっと溢れてきて、そんな自分の中の声に耳を傾けているような気がしたのです。

 

この映画を見て彼女のことを思い出すことができてよかった。

その心が動いた余韻まだが残っているのです。