ロマン派から20世紀へ Part Ⅳ
➖H.ヴォルフとその後
ということでした。
経歴を拝見すると、どちらの方も音楽大学関係の先生をなさっていらっしゃるのですね。
なぜそんなことが気になったかというと、その会場の雰囲気がそんなことを感じさせたといったところでしょうか。ちょっとその学校の関係の同窓会?っぽい雰囲気がありましたので………
なぜそもそもこの音楽会へ行こうと思ったかと言いますと、新ウィーン楽派と呼ばれる方々の歌曲をまとめて聴いてみたいと思ったからなのです。
はっきり言って、この時代の方々ばかりの曲を聴くと、その感性に共感するというよりも、ちょっと戸惑い、反面ロマン派ど真ん中の美しいメロディーと呼ばれるものを聴きたくなるということもあるのです。
それが、近頃5月の八ヶ岳、とこの11月のコンサートとヴェーベルンの曲をいただいて、取り組むうちに、ちょっとドキドキするようになってきたというか、親しみを感じるようになってきたのです。
5月の方は、本当に音がとびとびになって、無調という感じの曲だったのですが、今回の曲の方が作曲年代が初期の方なので、低い音ですが、根底に信仰に対する情熱のようなものがあって、和音の進行が素晴らしいのです。その音の運びに独特のものを感じられるのです。
自分で取り組んでみると、ヴェーベルンの自分の曲への愛情のようなものが感じられるのです。
よくリサイタルなどでは、何曲かこの時代のものに触れることがありますが、(ヴォルフは別格ですが)、あまり聴く機会が多いとはいえません。
ツェムリンスキーはオペラを一度見ましたがどんな歌曲を作っていたのか全然知りませんでした。
マルクスは何度か聴いたことがあるのですが、あまり記憶に残っていなかったのです。
と言った具合で、この頃の時代のものをこれだけまとまって演奏されるのですから、かなりの意欲的に取り組んでいらっしゃるのだと思います。
だいたいリートだけのコンサートはシューベルトの歌曲集などのものはありますが、この時代の作曲家の歌曲だけでのコンサートというものはなかなかないように思います。
したがって、これらの曲をどう歌うかというものは自分で切り開いていく要素が大きいわけです。
さすがに子音のさばき方や、ことばのニュアンスなどはとてもお上手だと思いました。
しかし、そう言った湯水のように流れていくドイツ語を身体のどこの部分を使って歌っていくかという問題が出てきているように思いました。
発声の部分の問題です。言葉がたくさん低い音程で歌うものから、急に高音へ跳躍したり、その声を弱音で持続させたりするというかなり無理がかかる曲もあるわけですから、やはり自由自在に様々な声を安定して発声するものがまず必要になるように思います。
もちろん曲のニュアンスを伝えるために、無理な発声をしなくてはならない場面も出てくるとは思うのですが、基本的な高音の出し方などは、伸びやかな発声が聴こえて欲しいように思うのです。
今自分がちょうど突き当たっている問題だからでしょうか。
余談ですが、このコンサートの前、自分のレッスンからかなり時間がありました。
ちょっとした用事を済ませた後に、遅めの昼食をとりました。
そこから上野へ回り、本当はどちらかの美術館へ行っても良いかなと思っていたのですが、こちらへ参ったのは、コンサートを聴くためですし、こういった曲を自分がしっかり受け止めるためには、自分に余裕がなければならないように感じました。
そこで、ヴェーベルンの今回11月のコンサートのために求めた〈アヴェナリウスの詩による3つに歌曲〉の楽譜もありますので、この3曲全曲を文化会館の資料室に行って聴いてみようと思ったのです。3曲を通してちゃんと聴きたいと思ったのです。
2人の方の演奏を、(それに至るまでかなり時間がかかったのですが) 聴くことが出来ました。
かなりの回数を聴きました。「うーん私に可能かな……」などと思いながら。
きちんとしたヘッドホンでききますと、声の中にノイズが微妙に聴こえたりするのです。かなりやはり難しい箇所があるのですね………
もう1人の方は、ロシアの方のようですが、ドイツ語が非常に曖昧なのでやはりこの歌の雰囲気にはあてはまっているようには思えなかったのです。
その後にコンサートへまいりましたので、余計そんな事が気になってしまったようにも思いましたが………