トッパンホール22周年バースデーコンサート

〈歌曲の森〉〜詩と音楽 Gedichete und Musik 〜第25篇

シューベルト三大歌曲 Ⅰ 

との結構長い題名のコンサートでした。

 

このお二人で 

今回は〈白鳥の歌〉……(だけではなく、ベートーヴェンとブラームスの歌曲も間に挟まれておりましたが……)

3日は〈水車屋の美しい娘〉

5日は〈冬の旅〉

 

ということでシューベルト3大歌曲集ということのようです。

近頃は、1日だけのリートコンサートは時々あるのですが、こんなに3日間もかけてリートだけのコンサート、しかもリートだけのものを演奏して、集客できる歌手はなかなかいらっしゃらないように思います。

トッパンホールだからこそ、周年記念のコンサートだからこそ、こういう企画を立案することができたのだろうなと思いました。

 

なかなかこういったコンサートにお目にかかれないので、遠いのですが3日間通おうかと思ったのですが……

しかし、5日は別のコンサートとぶつかっていて、もうすでにそちらを購入した後だったのです。3日も近頃月曜日が〈マタイ受難曲〉の練習日になることが多いので、ダメだろうなと思っていたのですが、この月曜日だけはお休みでした。(第2、3、4月曜日が練習日になっております)

というわけで3日の〈水車屋の美しい娘〉は聴きにいきます。

 

一度この歌曲集を集中して聴く機会があり、聴き比べをしたことがあります。

きっかけは、フローリアン・フォークトのリートコンサートだったのです。

 

まだ若くて初々しい〈水車屋の美しい娘〉でした。これを生で聴いたことから、他の方の演奏はどうなのだろうと思って、「 聴いてみたい」と思ったわけです。

生演奏も、CDも結構聴いたのですが、その中の演奏には大先生の演奏もありました。

ジェームズ・レヴァインが伴奏を弾いた録音です。

 

実は今回この方の演奏を聴いて、まず最初の声が非常に自然にすっと出てくることに驚いたのです。第一声が美しい。湧き上がるようなピアノと同化するようにスーッと始まるのです。

しかし、思わずプログラムを見直してしまったのは、この方はバリトンの方?と感じたからです。本当にテノール?

 

経歴を見ると、〈マタイ受難曲〉のエヴァンゲリストも歌っていらっしゃるようなのです。

実は私が習っている大先生はテノールで、

現在も〈マタイ受難曲〉の合唱練習の時に、エヴァンゲリストの後に合唱が入るところなどは、大先生がエヴァンゲリストの部分を歌われるのです。(もちろん血となり肉となっているのです)

そういった時の声のイメージや、ペーター・シュライヤーのエヴァンゲリストの声のイメージが私の中にしっかりとあるので、もかなり違ったもののように聴こえたのです。

 

まあ、ヨナス・カウフマンもテノールとは言っても、ジークムントは歌ってもエヴァンゲリストの感じではありませんから、当たり前ですが。

「テノール」といってもひとくくりには出来ないのだと思いますが……

 

しかし今回の特徴は、ピアノが何しろ、伴奏という形に聴こえなかった演奏であったことは確かだと思いました。

実はびっくりしたのです。

ある部分では完全にそのストーリーを、ピアノが語っているように感じてしまいました。

歌よりも歌らしく歌ってしまっていたように思う演奏でした。

存在感のあるピアノでした。

曲全体が持っている内容を、その雰囲気を作り上げているのです。

「この歌はこういう歌だよ」というものをピアノが作り上げているように感じました。

もちろん歌があって全体が完成するわけですが、きっとこの部分はこうやって歌われるのだろうという感じが導き出されるのです。

普通は、歌われる内容に沿ってピアノが演奏されるように思うのですが、そういう感覚よりももっと強烈にピアノの存在が意識されたように思うのです。

もちろん歌い手と一緒に作り上げた結果、こういう表現で演奏したいというものに沿って演奏されていたのだとは思うのですが。

 

実は今回、この伴奏者ゲースのピアノとブラームスの歌曲が心に残っているように思います。

一時期、聴き比べた〈水車小屋の美しい娘〉がどういう風に聴こえるか、ちょうど良い機会なので、3日にもう一度注意深く聴いてみたいと思っているのです。