これがやはり私のライフワークのように思います。
幸いに10年前あたりにやはり無理無理に歌ってきたツケが回ってきて、これはどうにかしなければ本当に歌えなくなってしまうと思った時があったのです。
しかしそれまで積み上げてきたことが、間違っているのではないかと思うことは本当に悲しいですし、虚しい気持ちになるので、気持ちとしては否定はしたくないのです。
でもどこか間違っているのではなければ、このまま悪い方向へ行くしかないわけですから……
まあ教師をしながら歌を続けるということが無理なのだと言われていましたが、どうにも自分では納得できなかったのです。
やれるところまで、やりたいという気持ちがありましたので、まだ年齢的にも若かったので、意欲も人一倍あったのだと思います。
大学時代にも途中で、転学、転科するということを考えましたが、残念ながら一声聴いたらみんなが唸るという声でもなかったわけで、そこそこの力でそういった困難を乗り切ることはできなかったのです。
それに、私が音楽の道へ進みたいといった時に、「そんな他を圧するような能力もないのだから」と賛成していなかった父親が、大学1年の時に亡くなりました。
従ってそのまま転校することもなく、大学を卒業して教師になったわけです。
まあ音楽の教師ではあったのですが、普通の公立学校の教師はめちゃくちゃ多忙で教科以外の仕事の方が多いくらいでした。
そんなことを経て、今に至るわけです。
海外の夏の研修にも参加しましたが、短い時間でできることは限られておりました。
まあ色々なところで色々な助言をいただいてはきたのですが、だんだん自由に歌えなくなってくることがわかってきました。
その後やはり年齢とともに、体力も衰えますし、通常無理をしているのでやはり声帯に故障が出てきて、夏休みに手術、完黙することなどの時を経ることになるのです。
何故こんなことを思い出したかというと、昨日、広い場所を借りてコンサートの伴奏合わせをしたのですが、(これは出演者全員で場所を借りて、時間を区切って合わせていくという形のもので、他の方が合わせている様子も聴講できる形式だったのです。
ちょうど保育士をなさっている方が歌っていらっしゃいました。とてもお疲れのようでした。
一曲目を歌い終わって、修正点を直して、2回目を歌おうとされた時に、もう声がザラザラになっていたのです。
そういった症状が一時期の私とよく似ていたのです。
自分でもどうしてそうなるのかが分からずに本当に苦しく、色々やればやるほど悪くなっていくのです。そんな気持ちも手に取るようにわかるのです。
もちろん100パーセントその原因が分かるわけではありませんが、どうして一回でノイズが入るようになってしまうのかがいつの間にかが、耳で聴き取れるようになっていたのです。
私も大先生のレッスンを始めた最初に、「君は一回歌っただけでもう声にノイズが入るようになるのがわかりますか?」と指摘されました。声に出しては言いませんでしたが、「私も彼女と同じように今ちょっと疲れているからだ」と思っていたのです。
一回で声がガサガサになる原因は、やはり歌い方にあったのです。
そこから、10年近い年月が経ってやっとその原因を聴きとることができるようになってきたのです。
それまで若いうちはそれでもなんとかだましだまし歌えているのですが、やはり原因は歌い方にあったのです。
声を出す部分が低めで話をする部分にあたってしまっていて、しかも声が出しやすいと感じてしまう場所なので、そこが良い場所なのだと勘違いをしてその場所でガンガン歌ってしまうのです。特に長く高音で伸ばす場面などに力で押してしまうので、負担が一気にきてしまうのです。
そんなメカニズムが手に取るように聴こえてきました。
やっとそれに気づいてきたのだ……
費やしてきた時間は無駄ではなかったのだなあと思えた瞬間でした。
無駄ではなかったのだなあと実感することができました。
しかしそれを身につけていくことって本当に難しいのです。
今はやっとそれに気がつくようになったという段階ですが……
なんだか「はじめの一歩」といった感じかなと思っています。