本日は10月のコンサートの日本歌曲の大家の先生に見ていただく最終レッスンになります。
予定では9月の終わりに、ドレスを着たリハーサルがあったのですが、先生があるコンクールの審査員になられて、そちらの日程と重なり、どうしてもいらっしゃれなくなってしまいましたので、少々早いですが、先生にご指導いただくコンサート前の最終レッスンになってしまいました。
今回、作曲家の方から送っていただいた歌曲をお披露目することにしましたので、そのためにもレッスンの時間を2枠にしていただきました。
先日伴奏の先生のところで、いろいろ検討させていただくことができましたので、その曲想を聴いていただくつもりです。
最終レッスンの予定であった9月の後半の日の伴奏者の先生との練習で、本日先生にご指導いただいたことを考え合わせて、最終的な形にしていきたいと思っています。
しかし先日、私の考えと、その先生の考えをつき合わせてみましたら、結構共通したところもありました。こうやって演奏してみると、疑問に思っていたことが、スッキリするのではないかしらね……といろいろ工夫の仕方を考えていただいていたようなのです。
やはり作曲する立場の方として、「この方はこういう風に考えて曲を作られていたのではないかしら」と分析なさっていたのですが、とてもそのお話が興味深かったのです。
まず、開口一番「この方はピアノを弾くことが堪能でいらしたのかしら?なんだか自分で弾かれていないように思うの………」
とのこと。
私もよくはわかりませんが、たしかにピアノの伴奏の流れが、不自然に感じるところが多々あるのです。
歌の方面からいっても少々、不自然さを感じる部分がありました。
しかしそれはわざとそうしている場合もあるので一概には言えないのですが。
こういったことをやってみたいということがたくさん詰め込まれているように思うとのこと。
一言で言うと、これも入れたい、あれも入れたいと言う要素がたくさん詰め込まれすぎているように思うとの事。
なるほど……
それに、真ん中に少々長めの間奏が置かれているのですが、「ここが一番この方が作りたかったところだと思うわ」とのこと。
そこはとても美しい流れるようなメロディーが描かれているのです。
納得。
しかし私が詩の朗読を何回もして、この言葉はこの文章にかかっているのではないかと思う2箇所のところは、作曲家の意図としては、しっかり分けて描かれているので、無理につなげようとするよりも、テンポの揺れとして表現するのはどうだろうとのことでした。
少し早めてみたり、落ち着いてみたり、歌い方を変えてみました。
早さを動かすことはあまり私は考えておりませんでしたのですが………
自分が考えつかなかったことを指摘していただいて、とても新鮮に感じました。
ご指摘のように歌ってみると、気持ちが変わります。
なるほど………
最終的には、「作曲家がこの詩から受けとったものを曲に描いたのですから、その解釈に沿って演奏することになるわよね………」とのお言葉。
それを中原中也の詩の内容として、演奏で少しでもカヴァーしていく他ないのです……
というわけで、テンポや歌い方について検討してみたのです。
これがとても私にとっては興味深かったのです。
「作曲されたものは、どんなに名曲であろうが、そう出ないものであろうが、それを最後まで作ったということだけで、すばらしいことなのですよ……」とのお言葉は、さすが自分で作曲なさる方の実感を伴うものでした。
「出来るだけ作られた方の意図は尊重したけども明らかにおかしいと思われる部分は少し変えたところもあります」とのこと……
ご存命でありましたら、お訊きしたいところでしたが……
私の技術の習得がこの歌を演奏できるようになるまでに、そういった技術に到達するまでに時間がかかってしまったのです。
本当に申し訳ないことですが、今回やっとみなさまにご披露させていただく形になりましたので、きちんと検討させていただいて歌いたいと思っているのです。
こういう風に新しい曲を、ほかに演奏した例がないものを一から取り組む面白さ、やりがいといったものを今回感じることができたのは幸いでした。
こんなにいろんな角度から検討したのは初めてのように思います。
さて、今回は先生にどういったアドバイスをいただけるか、楽しみではあります。