ヤナーチェクというと浮かぶ〈シンフォニエッタ〉によく似たフレーズも出てきました。

何年か前に村上春樹さんの小説にでてきて、かなり有名になった〈シンフォニエッタ〉でしたが、ずいぶんと前に、私はこの曲を確かN響の定期演奏会で、聴いていて「、なんて不思議な曲なのだろう」と思ったのです。

あれほど曲名を覚えるのが苦手な私が、一回だけ聴いて覚えていたのですから、かなりその印象が鮮烈だったのです.きっと。

 

しかし、本日のハイライトは、「サントリーホールの一列めに座ってみた。」ということかもしれません。

何故か空いていた、1列めの一席………

よくみましたら、センターの一列目は座席を売っていないようなのです。右と左のブロックだけ、1列めから座っているという形です。

オーケストラが満杯にステージに乗っていますので、ほぼ、ビオラとコントラバスしかみえません。しかも足もとが目の前ですからどんなふうな靴を履いていらっしゃるのか、パート譜に白い紙が貼ってある?こととか、譜めくりの時に楽譜がばらなので、めくりにくそうだなあ とか。

普段見えない、聴こえないものが経験できてしまいました。

ビオラの裏から聴こえる音が、頭の上から降ってくるように聴こえる場所でしたが、全体が見えなくとも、音の聴こえ方が不自然であっても、何か臨場感は半端なくありました。指揮者は指揮台に上った時には拝見することができますので、その指揮している姿はかなり横を向く形ではありますが、つぶさに拝見できましたし、鋭く息を吸う音や声にならないうなり声のようなものも聴くことができました。

全体を均等に、音もバランスよく聴くには、もっとも適していない座席でしたが、なんだか音楽に参加している感が不思議に有りました。

 

ミサ曲とはいっても、「神よ憐れみたまえ」といっても、普通耳にするミサ曲の語感とはかなり違っていて、ずーっとある一定の音量以上の音が聴こえている感じとでも言いましょうか。

言葉も古代スラブ語であるので、聴こえてくる言葉からいっても不思議な感覚です。

 

しかし、これだけの楽器の圧力に、パイプオルガンとティンパニ、金管楽器の圧力にも負けずに歌うわけですから大変です。まずこれらに負けずに隅々まで声を届けることができる歌手でなくてはこの曲は歌うことができません。

遠くの隅々まで届いているのかわかりませんでしたが、かなりの息の量と推進力を使って歌っていらっしゃることは拝見できました。

口形なども非常によく見えて、ともすればオーケストラの音の洪水に埋没しそうになりながらもかなり技術を駆使していらっしゃる様子が目の前に見えておりました。

正面からは見えませんが、歌手の方の左半分の様子はつぶさに拝見することができました。

いつもは弱音の部分の技術に気持ちがいくのですか、今回はこういう音楽ですので、「いかにこの音の洪水から声を浮かび上がらせるか」ということが最初から終わりまで大変そうだなあと感じておりました。

きっと力づくだけの声ではあの音の洪水を抜けて会場の隅々まで豊かに響かせることはできないだろうな思いました。何しろ1番前なので、想像はできてもどこまで音が届いているかは聴くことはもちろんできませんでした……

席を購入する時それはよーくわかっていたのですが、こういう機会でもなければこういった座席を経験することはできないであろうと思っていました。

合唱を伴った大掛かりな曲目であったので、迷ったのですが、一度この場所を体験してみたかったという気持ちが優ったのです。

ほぼ視界は、ビオラ奏者に遮られてしまいますが、その足元から広がる世界もなかなか興味深かったです。

こんな風に聴こえるのだ……

という不思議な満足感に満たされた演奏でした。

打楽器のリズム、金管楽器の響き、オルガンの響き、人間の声の厚み、時々聴こえる思いがけない音色…………

 

指揮  大野和士

ソプラノ 小林厚子   アルト 山下裕賀    テノール 福井 敬   バス  妻屋秀和

オルガン  大木麻理

合唱  新国立劇場合唱団

合唱指揮  富平恭平

コンサートマスター  矢部達哉