ちょうど新橋に着いて歩き始めた時にポツポツと雨が降り始めました。
天気予報を見た時にちょうど2時あたりに雨の予告が出ていたのです。しかもちょうど東京都千代田区あたりに雷注意報❗️
なんとかポツポツのままでニッセイ劇場までたどり着きましたので、傘はさしませんでした。
…………あとはケセラセラです。(帰りに土砂降りだったら困りますけれども、終わった時はかなり晴れておりました。)
この《セヴィリアの理髪師》をこの日にした理由はアルマヴィーヴァ伯爵なのです。
今回はこの役を歌われた小堀勇介さんの歌を聴きたかったのです。
他のロッシーニのオペラで初めてお聴きした時、日本にもこんな風にフルボイスで歌われる方がいるのだ とちょっとびっくりしたのです。
ペーザロで開かれるアカデミーでも学ばれたテノールだということでしたので、これからどういう風に花開かれるのかとても楽しみだったのです。
カウンターテノールということではなく、高音をファルセットではなくフルボイスで歌う声はファン・ディエゴ・フローレスの圧倒的な声を聴いた時、こんな100年に一度という声で歌える日本の方がいらっしゃるのかしらと思ったのです。
聴いていてこういうテノールの方はかなり声に無理があるのではないかな……と思っていたので、大丈夫かなと思っていたこともありました。
MET での 「アルマヴィーヴァ伯爵」の役をフローレスが歌った時はまだキラキラした声の印象
がありました。ハビエル・カマレナという方が《連隊の娘》で超高音を出されて歌った時、時代は次々にスターを生み出すのだなあと思っていたのです………(もちろん、残念ながら本物を聴いたのではありません。映像ですが……)
このアルマヴィーヴァ伯爵をどう歌われるか。
高めの声も低めの声も容赦なくコロラトゥーラの技法を使って歌われるロッシーニのオペラの妙技は、どの役でも聴きどころがあって興味深いところですし、どんな演出であるのか興味深いところです。
舞台の上にステージがあって、このお話が芝居小屋で演じられる芝居のようになっている演出です。舞台を回転させて、場面転換もスピーディーに行われるようになっているのです。
これはこのオペラの速度感にあっていますし、概ね良いと思ったのですが。
〈陰口はそよ風のように〉の場面では、この歌の早口の歌い回しや、その歌の妙技をしっかり聴きたいと思うのに、舞台上に擬人化された「陰口たち」が出てきてその舞台を牛耳るという形になっているのです。
視覚的にも気持ちがそちらに持っていかれてしまい、挙げ句の果てに歌がよく聴こえなかったり
するのです。
プログラムの解説には、喜劇はまず「言葉」であるというところにこの場面のことが載っておりましたが、やはりその言葉が生かされる演出であるべきで、わかりやすさに音楽が壊されてしまってはオペラの意味がないように感じました。
わかりやすい演出になるように考えられていたように思うのですが、時々説明しすぎのように感じる場面がありました。
しかし、満員のお客様の反応は良かったように思います。
私の両隣に座っていらっしゃった方は、どちらの方もよく笑っていらっしゃいました。
自分で、本日の自分の感性が疲れ気味なのかなと感じたほど、お二人はよく反応されていました。
特に前半は自分の中にクスッとくるものがなく、なんでなのかなあと思っていました。
後半の偽音楽教師に変装したリンドーロと歌のレッスンをしていて、バルトロの目をごまかすために歌う「夜の女王のアリア」のメロディーが出てくる場面が、その仕草とともに自然にクスッと笑えたのがなんだか嬉しかったのです。
ちょっと自分がくたびれていたせいなのでしょうか。14:00に始まって、終了が17:30。休憩が20分でしたが、〈セヴィリアの理髪師〉としては少々長く感じました。
特に前半が長いなあと思いました……
なぜだかわからないのですが。
音楽としてはテンポよく運ばれていたと思うのです。
いろいろな要素が詰め込まれすぎていたのでしょうか?
はたまた熱演であったことがわかるステージだったからでしょうか。
熱演の段階を超えて、いかにもさらっとしていながら、その影に隠れた部分で実は物凄いことをやっているといった上演だとストレートに「面白かったね」といえるのかもしれません。