春祭に参加している、レクチャーコンサートでした。

テーマは「美術と音楽」

平日の11時半からのコンサートでした。この時間はだれでもが来ることができるタイプという時間ではありません。

しかも、ちょっと難しい主題であるかもしれませんし、《サロメ》もあまりわかりやすいタイプのオペラではありません。

しかし、このように一つの絵を中心に、その同じ中心になる主題を絵ではどう表し、音楽ではどう表しているのかということを、その道の専門家の方がお話くださるという切り口は興味深かったのです。

 

まずはこの「サロメ」という名前が記録に出てくるのはいつからであるのか……

最初にこの名前が出てくるのは、今の世の中で知られているような、ヨカナーンの首を切らせてしまうような女性として出ては来ないという歴史的なことからの説明がありました。

彼女の母が、自分の結婚に反対を唱えるヨカナーンを亡き者にしたいという話は出てくるけれども、サロメという人格は最初の頃は前面に出てきていなかったのだということから説明は始まりました。

 

いくつかの他の画家が描いた「サロメ」もプロジェクターで映し出されていましたが、やはりモローの描いた「サロメ」の絵も3つ示されました。

この中の油彩画ではない「出現」という名前の絵は知っておりました。(サロメを主題にした彼の絵はもっと他にもあるのですね………)

なんとも不思議な絵だと思っていたのです。

調べてみましたら、水彩画の方はルーブル美術館所蔵の作品で、他に油彩画もあるのです。

モローが描いたいくつかのサロメのうち西洋美術館所蔵の「牢獄のサロメ」が本日のテーマであったわけです。

 

この絵だけ、前面に物憂げに立っているサロメと、左斜め後ろに今まさに首切り役人に首を切られようとしているヨカナーンが見えているのです。

 

 

そして演奏が終わった後に、林正子さんと緒方菜穂子さんとの対談がありました。

急遽対談をやることになったそうですが、これが意外に面白かったのです。

 

林さんはサロメは、この絵では後悔をし始めているのではないか、という解釈だったようで、演奏した歌も後悔をしているという解釈のもとで歌ったのだということを話されていました。歌の中のサロメの心の動きを分析して歌っていらっしゃったようです。

国立西洋美術館特定研究員という肩書きをお持ちの緒方さんは、割合この絵のサロメは普通の顔をしているとの見解でした。

「絵画におけるアプローチと、音楽におけるアプローチにはちょっと違いがあるのかもしれませんね」というお話が出ておりました。

 

はたしてR・シュトラウスのサロメの解釈には、林さんが話されていたような後悔の念が含まれているのでしょうか……

私は今までこの曲を聴いていて、サロメが後悔しているであろうという考えは浮かんできたことがありませんでした。

 

一つの絵を見ながらどういう風にそれを感じ取るか、また音楽を聴いてそれをまたどう感じるか、なかなか興味深いお話だったと思います。

 

国立西洋美術館との共催のコンサートでしたが、今現在、西洋美術館が改装中なので、小ホールを借りて演奏するという形だったようです。

 

プログラムとしては、最初に 国立西洋美術館特定研究員の 浅野菜緒子さんからこの絵についての説明があり、その後にソプラノの林正子さんの、歌劇《サロメ》から〈ああ!お前は自分の口に接吻させようとはしなかった、ヨカナーン!〉の演奏があったのです。

同じく《サロメ》の中からから伴奏も弾かれた石野真穂さんがピアノで〈7つのヴェールの踊り〉も演奏されました。

 

その後、同じ作曲家のR・シュトラウスが作曲した〈4つの最後の歌〉が歌われました。

 

演奏の後、上記の対談がおこなわれたのですが、このような音楽祭と言う機会と、この上野の美術館、博物館、文化会館といったものが集まっているエリアだからこそできる企画であったのだと思います。

 

午前中からのこういう企画にも参加できるようになったのは嬉しいことですが、やはりお客様は少ないのは仕方がないようにも思います。

ちょっと宣伝不足かもしれません。

 

今度機会が有りましたら、西洋美術館所蔵のこの「牢獄のサロメ」を見に行きたいと思います。お話では考えているよりもサイズが小さいのだそうです。

本物を見てどういう風に感じるか、ちょっと興味はあります。