3日連続出かけることになってしまった今週でした。

そして3日め。

しかも昨日は勤めも目一杯の状態でした。さすがに足の(膝の)痛さが半端ではありませんでした。

 

久しぶりの新国立劇場の4階席, R席でしたが。

 

聴きたかったのは今回は中村恵理さんの椿姫の歌でしょうか。

キャスト変更での、出演でしたが、先日行った藤沢市民オペラで、何年か前の彼女の《椿姫》には一度お目にかかっておりました。

演出などが変わると、同じ方が歌っても印象が変わるのでしょうか?

そういう意味でかなり期待しておりました。

 

一言で言うと久しぶりにかなり心が動いた演奏でした。

ヴィオレッタの中村さんの歌に、アルフレードもジェルモンも、彼女の歌に触発されて後半になるほど、よくなっていったように思います。

別に前半が悪かったというのではなく何か触発し合っているなと感じたのが後半だったのです。

ジェルモンの聴かせどころ〈プロバンスの海と陸〉は、この方のお声にも合っていて、今回はこういう人間像でジェルモンを演ずるんだということが伝わってまいりました。

何年か前に、レオ・ヌッチがジェルモンで、アルフレードの横っ面を叩くという父親像を演じていました。

今日の方はとても良いお声で、結構若々しい感じのお父さん像だったように思います。

 

実は私は、ファンの方にはめちゃくちゃおこられそうですが、彼女の歌は割合苦手だったのです。最初にリサイタルを聴きにいった時の印象が、なんとなく残っていて、表現に関してあまりにも大まかすぎるなという印象があったのです。

でも苦手と言いながら結構あちらこちらと聴きに行っておりました。

ある会場で全然知らない方に、「すごいお声よね……」と 話しかけられたことがありました。実はその会場では少し声がうるさいかな?と感じていたのです。

オペラでもお聴きしました。

やはり何か心惹かれるものがあるから、なんのかんのいっても色々聴きにいくのでしょうね。

しかしそのおかげで、今回かなり技術的にも、表現の上でも進化を遂げられた彼女の歌を聴くことができたのだと思います。

ものすごく繊細なヴィオレッタで、しかも第3幕の〈さようなら、過ぎた日よ〉ではもっとも難しいピアニッシモの表現を最後の最後まで集中力を途切らせることなく歌うことができました。

この幕は本当に素晴らしく、以前見たこの演出の《椿姫》より絶対に心に残るだろうと思いました。私の場合、印象に残った場面がその場面だけ静止画像のように記憶に残るのです。その場面以外の印象は歳月と共に無くなっていくのです。

 

前回この演出を見た時、鏡とピアノが印象に残っていました。

本当にこのピアノが様々なものに変身し、ある時にはシャンパンタワーの台であったり、書き物机であったり、かけのゲームの台であったり、究極は最後はヴィオレッタの寝台になるのです。19世紀半ばに実際に使われていた本物のピアノだったそうですが……

これに前回、ずいぶん違和感を覚えたのは確かでした。

でも今回はそんなことがあまり気にならずに別なことに気持ちが持っていかれたように思います。

1つ1つが丁寧に形作られた《椿姫》でした。

前半の社交界花形の部分より、第2幕以降の後半の役づくりがかなり光っていたように思います。

足はかなり疲れていましたが、心は満たされた思いの公演でした。

 

ヴィオレッタ / 中村恵理     アルフレード /  マッテオ・デソーレ    ジェルモン/ゲジム・ミシュケタ    フローラ/  加賀ひとみ    ガストン子爵/金山京介   ドゥフォール男爵/成田博之    ドビニー侯爵/与那城敬     医師グランヴィル/久保田真澄    アンニーナ/森山京子

 

指揮/ アンドリュー・ユルケヴィチ     演出・衣裳/ヴァンサン・ブサール

管弦楽/東京交響楽団    合唱/新国立劇場合唱団

 

実は、指揮者のお名前を見た時この方はどこの方?と思ったのです。音楽界でも今、ロシアのウクライナ侵攻の影響が出ているので……

この方はウクライナの方でした。

今ニュースに名前が出てくるリヴィウの音楽大学を出られたとのこと。

その後、ポーランド、シエナ、ペーザロで有名指揮者のもとで学ばれ、そのキャリアのはじめもリヴィウ国立オペラ常任指揮者であったようです。

新国立劇場では《エウゲニ・オネーギン》19/20 を振られた方だったのですね。今のお気持ちはかなり複雑な思いで満たされているかと思いますが、何かこの方も指揮棒を持って闘っていらっしゃるような気がしてしまいました。

《エウゲニ・オネーギン》の頃には考えもしなかったことでしたが……