土曜日は、オペラ講座の日でした。
今回のオペラの演目は《ばらの騎士》でした。
私がこのオペラに初めて触れたのは、だいぶ昔、銀座ヤマハホールで見た音楽映画でした。
何しろ、同じ日にプロコフィエフの《ロミオとジュリエット》のバレエと、この《ばらの騎士》のオペラが上映されていたので、一度に見たのです。
どちらも名作でしたが、何しろ見終わるのに時間もかかりましたし、ボリュームがあったので見終わった時にはかなり疲れ果ててしまったという記憶があります。
本当は《ばらの騎士》の元帥夫人のシュワルツコップがそれはそれは美しいのだというお話を聞いていたので、それを見に行くのが本命でした。
しかし、同じ日に同じ場所で上映されるので、そうそう銀座まで出かけられないのだから、2つの演目を頑張ってみようと思ったのです。
最初が《ロミオとジュリエット》でした。
何というヌレエフの美しさ、躍動感あふれる踊り………
もうもうこれに見惚れてしまいました。
音楽も私にはわかりやすいもので、とても心惹かれる音楽でした。
この時の、印象はいまだに薄れることはなく、バレエというと必ずその時のヌレエフとプロコフィエフの音楽がイメージとして出てくるのです。
R・シュトラウスの《ばらの騎士》の音楽があのプロコフィエフの後でしたので、少々単調に感じてしまったほどでした。
あらすじもよく知らずにただただ美しいと言われていたシュワルツコップを見に行ったようなものだったので……
あまりにもプロコフィエフが強烈だったので……
しかし、第2幕のばらを持ってオクタヴィアンがファーニナルの館を訪れ、ゾフィーと出
会うあの場面は、初めてこのオペラを見る私には強く印象に残りました。
まあ何と美しく豪華な、ため息が出る場面でしょう。
その後いろいろな演出で、近代的な出で立ちの舞台の作りもシンプルな演出のものにも出会いましたが、やっぱり演出はあの音楽とともにきらびやかなものであってほしいのです。
ワクワクドキドキ到着の様子を伝えるマリアンネの実況と共に、ばらの騎士を出迎える形のものであってほしいのです。
今回は4人の元帥夫人にお目にかかりました。
1番詳しくお目にかかったのは1979年版、カルロス・クライバー指揮 ギネス・ジョーンズの元帥夫人、ブリゲッテ・ファスベンダーのオクタヴィアン、ルチア・ポップのゾフィー、ユング・ヴィルトのオックス男爵のもので、何と私も持っているものでした。
今回は様々な演出と歌手のちょっとした部分の違いに視点を当てて、お話いただきました。
普通は主役の歌手の聴き比べといったものになりがちですが、ちょっと見逃しがちな部分に注意して聴く、見るというところを教えていただきました。
例えば、1幕の朝の謁見の場面に出てくるイタリアオペラを歌う歌手の役に、アライサが出ていたのだということは、自分の中でさらっと通過してしまっていたのに気がつきました。
ここの場面の聴き比べで、あと他の演出のものでカウフマンや、パヴァロッティのものも聴かせていただきました。いつもさらっと出てきてさらっといなくなってしまう扱いのものが多いのですが、さすがカウフマンはしばらく居残って、パスタを食べたりする喜劇俳優並みの演技もするような演出なのです。
しかしこの役は、いかにもイタリア人風の明るく輝かしい声のイメージで、カウフマンの声はちょっとイメージとは違う感じでしたけれど……
というように、さまざまな演出の見逃しがちな部分を見せて聴かせていただくことは私にとってとても有意義なことでした。
この役は、ちょっとしか歌わなくとも印象に残る歌を歌わねばならないという役回りなのでしょうかね……
そしてもう一つ、最後の最後に元帥夫人がオクタヴィアンと別れる場面で、手を差し出すその仕草の演技にも注目して見比べてみたのです。あっさり系のギネス・ジョーンズからその手を差し出している時間の微妙な長さの違いなど……これは、たくさんの演出を何回もご覧になっていて、しかもそれなりに思い入れを持ってご覧にならなければわからないことです。
しかし時間の都合でシュワルツコップの最後の場面の手の差し伸べている映像が見られなかったのが残念に思いました。
私の記憶にはないのですが、最後の場面に胸が詰まった覚えはあるので、きっと思い入れがある別れの手を差し伸べたタイプではないかと思うのですが………
まずは手持ちの《ばらの騎士》を見直してみましょうか………