月に一回開かれているオペラ講座で、今回はワーグナーの《さまよえるオランダ人》がテーマでした。
最近は近々行われる公演から、講座の演目が選ばれることが多くなりました。
その作品のエッセンスのようなものを教えてくださいますので、より深い鑑賞への助けになっているように思います。単なる説明に終わらないところがこの講座の特徴です。
画像や音声で、ごく一部であっても見聴きできるので、より具体的で自分が鑑賞する時に聴く観点を見極めやすいのです。
例えその公演に行かずとも、またの機会にはこういうことに気をつけて聴こうと思えるので、とても有効だと思います。
そういうことって、忘れてしまっているようでも実はどこかに残っているものなのです。
何気ない一言って結構残るものなのです。
今回は、最初に最近のバイロイトでの演出の一コマを見せていただきました。
《さまよえるオランダ人》なのにどこにも海のみえない舞台。
ゼンタが救済のために海へ飛び込むのではなく、首を吊る?
なんだ、この演出は………
という画面を最初に見せていただきましたが、普通の酒場のようなところに、なんの状況説明も置かれていない(舞台装置があれば、ああこの人がオランダ人で、海をさまよった後に港に着いたところ? などということがわかるわけですが、普通の格好で重々しく店に入ってくるだけでは、この人が今何をしているか、これは誰なのか ということがわかりません)のでは、この歌手の演技力に頼るほかないわけで、オランダ人の方は大変だと思います。
歌手が演じる訳ですから、役者さんでもこの演技は難しいのではないかと思う演出です。
歌が上手いだけではこれを演じきれないわけです。
やはり、音楽が雄弁に、ここは嵐の波の中幽霊船が到着し、ここで彼のモノローグというか、1人で歌う部分があってという風に語っているオランダ人登場の場面。
そういった流れを、パブのようなところでタバコを吸いながら歌わせるのです。
その部分ではほとんど動きもなく、音楽と舞台の様子がどんな状況なのかということを語っている場面なのですから、そういったものが取り払われてしまっているのですから、あとはひたすらオランダ人役の方の表情や演技力にかかっているのです。
大変だなあと思う反面、私などには「ちょっと間が持たない感じがあるなあ」という印象を受け取りました。
しかし、普通は舞台にオランダ人しかいない場の設定なのに、その他の方が舞台にいることで、「オランダ人の登場がどんな印象を持たれたかがわかりますね……」
なるほど、そういう見方もあるわけだ……
という具合に何気ない一言が印象に残るのです。
というわけで来年の新国立劇場の《さまよえるオランダ人》はどんなものが飛び出してくるのか、楽しみではあります。
ちょっと《さまよえるオランダ人》から話は外れますが、今回のお話の中でワグナーが、1837年から2年間、リガの劇場で音楽監督として就任し、職業指揮者として、《ドン・ジョバンニ》や、《カプレッティとモンテッキ》《ノルマ》などを振っていたということがありましたが、それが自分の中にある記憶と結びつきました。
確か《タンホイザー》に出てくる歌合戦の場のモデルとされたヴァルトブルク城の山の麓に、小さなワグナーの博物館があるのですが、そこに確かワグナーの愛用の指揮棒というものが展示されていたと思うのです。
今の常識から考えると、象牙のような材質でできている指揮棒は見かけが立派ですが、重そうで、あんなものを何時間も振り続けられたのかと疑問に思ったのです。
19世紀のはじめの指揮棒って今のような軽い材質のものはなかったと思うのですが、ワグナーは果たしてどんな指揮棒を振っていたのでしょう?
それともあの博物館のものは、私の見間違い?
いろんな音楽映画では、みなさん今の時代のような指揮棒を振っていますが……
音楽史で指揮棒が大型の杖のようなものから、バトンのようなものに変化して、今のような小さい指揮棒に変化した(ゲルギエフのような方もいますが……)とあったように思いますが、はたしてワグナーはどんな指揮棒をふっていたのでしょう?