7月20日(火) 14時 渋谷区文化総合センター大和田
伝承ホール
日本オペラの歩みその②
高木東六とフランス楽派
平尾貴志男 《隅田川》
高木東六 《唐人お吉》
高木東六 《春光》
休憩
菅原明朗 《葛飾情話》
関屋敏子 《お夏狂乱》
原 嘉壽子 《祝い歌が流れる夜に》
監修 構成 青島広志 制作 前澤悦子 朴 令鈴
出演
大貫裕子 関定子 新居佐和子 前澤悦子 村松織部
田口太美 三橋千鶴 高橋淳 中村拓哉 飯村孝夫
土屋繁孝 松井康司
青島広志先生のご説明によるもので、オペラ全曲ではなくとも、主な部分を解説して、演奏してくださるという画期的な試みです。一日に昼と夜の2公演がありました。
一昨日は新国立劇場へ行きましたので、続けて行こうという気持ちと体力があれば行こうと思いました。したがってチケットは購入しておりませんでした。
かなりの暑さでしたので、一応主催の団体へ当日券の有無を確認してから、結局出かけました。
どのオペラも聴いたことがないし、日本人の作曲家によるオペラでしたし、今までこうやって一度に聴く機会はありませんでしたので、一度聴いてみたいという気持ちが強かったのだと思います。
平日のマチネで、しかもよく知られていない曲ばかりなので、お客様はいらっしゃるのかな?と思っておりましたが。
隣同士にならないように、一席ずつ離した座席設定でした。
そのせいか、結構座席数の半分ということでしたが、開演までには可能な座席は全て埋まっていました。
こんなに日本のオペラにみなさん関心を持っていらっしゃるのかと思いましたら、どうも出演の方の、合唱や、ボーカルレッスンでお世話になっていらっしゃる方が多いようで、休憩中にこんなことが聞こえてきました。
「〇〇先生、もう出てお歌いになったし、後半もあるみたいだけど、私、頭がいたいから帰るわ」
「私も帰るわ。もうちょっとリサイタルみたいに楽しい音楽会かと思っていたんだけど、普通のコンサートとは違うのね………」とのこと。
というわけで後半は、私の列は、横がずらっと空いておりました。
やはりどうしても、オペラの一場面をとりあげたり、場面ごとをうまく繋いで、お話がわかるようにアレンジなさったりして、かなり工夫して演奏されていたように思うのですが、聴いていて有名オペラのアリアを聴くといった楽しさはなかったかもしれません。
演奏は皆さん練習を重ねられていたようで、本当によく内容がわかるように、歌われていましたし、演技も良かったと思います。
全然知らないオペラだったのですが、かなり興味深く聴かせていただきました。
日本にもこういう知られていないオペラが眠っているんだということがよくわかりました。
青島先生も、あまり詳しくじっくりという形ではなく、ズバッとそのオペラの特徴や問題点を早口でおっしゃって、「 では聴いてみましょう……」
という形なのです。
それが面白くもあり、無駄なところをできるだけ廃して、聴いてもらいたいところに興味を繋いでいこうと努力されていることがわかります。
内容的にも、盛りだくさんでした。
オペラとオペラの間に、説明をされ、客席の前列のところに座られて、楽譜を見ながら、プロンプターをされたり、ある時は打楽器を演奏されたり、またある時はステージに人数が必要になった時は、黙役で、ステージに出られるのです、そしてまた指揮もしていたり……なかなか多彩な活躍をされていました。
もちろん、楽譜も出版されていないオペラを、どうアレンジするかとか、この時間に、聴いている人に内容を理解させるためにはどうしたら良いかということを考え、作曲家としてアレンジなさっていたように思います。
演奏にあたって、研究の成果を歌手の方に理解していただいて、練習することや、演出なども青島さんがなさっているようでした。
今回の出演者の中にも、他のオペラでお見受けした方もいて、みなさんかなり芸達者な方で、ほんの少しずつの場面だったのですが、そのオペラの特徴がよくわかりました。
《隅田川》は同じ能の題材から取られているブリテンが作曲した《カリューリヴァー》は聴いたことがありますが、平尾貴志男さんのオペラがあることは知りませんでした。
この方はフランスに留学されて、その時の卒業作品としてこれを作曲し、最初はこの曲はフランス語の歌詞だったそうです。
今回は日本語版で演奏されました。
他も興味深いものがあったのですが、その中でも《お夏狂乱》は圧巻でした。
コロラトゥーラの自分が歌うために作曲なさったとのことですが、この曲を聴くのは初めてでした。
戦前の時代に、自分が歌うために作曲をしていた歌手の方がいて、またその数奇な運命にも心惹かれました。
イタリアに留学してヨーロッパのオペラにも出演されていたとのこと。
コロラトゥーラの曲に普通の状態ではない狂乱の場というものがつきものであったのですから、日本の狂乱の場である、お夏の狂乱の場面を歌に作曲し、それをヨーロッパで自分で披露するということを実行した方がいたのですね。
まずそれには驚きました。
実際聴いてみて、その難しさにびっくりいたしました。ある程度の歌であれば、もっと取り上げられているとは思いますが、本当にこれは難しい。
しかもその技術に気を取られているうちに、終わってしまいましたので、さてこの歌の内容的なものとしてはどうなのかということが聴き取れませんでした。
これでもかという具合に高音が出てきたりで、自然な流れとして聴き取ることができなかったように思います。
これが自分の名人芸を披露するための歌として作曲された限界なのかもしれません。
しかしこれだけの才能をお持ちでしたのに、30歳代で自殺なさるという運命にも心惹かれるものがありました。