昨日職員室の電話の座席に来られた先生が、電話する前にこうおっしゃいました。
「電話している間にさなぎから外に出たら教えてください」
え? 、冗談かと思いましたら、手に持っている小さなプラスチックの容器の淵に、小さなサナギが付いています。「もうすぐこのサナギの背中がパカんと割れて蝶々が顔を出すと思うのです。」とのこと。もう秒よみ段階になっているようで、そのプラスチック容器を先生が持ち歩いているようです。
私もセミが殻から出てくるところはかろうじて観たことがありますが、蝶々は未だ観たことがありません。残念ながら私がいる時には蝶々は生まれてきませんでした。
昨日の放課後ペットボトルで、何かを作っていらっしゃる方がいらっしゃいました。
それはやごを取る時に、やごを入れる容器だったのです。
毎年プール指導の前に、やご取りをしてからプールを掃除して、プールびらきとなるのですが、今年も昨年に引き続きプール指導は行われないことになりましたが、プールのお手入れは必要なので、やご取りはするそうです。
その容器を見ながら、「これは小さいトンボなら適してけれども、もっと大きなトンボには少し小さすぎるかもしれないですね」とのご指摘が。
大きな個体には小さすぎるかもしれないとのこと。
6月は何故か生命の神秘というものを感じる時なのです。
来週と言うのか今週と言うのか、この日曜日、娘の誕生日です。
今は何か娘の誕生日としての意識の方が強いですが、この日は父親の命日でもあるのです。
娘が生まれる時、もしかするとこの日になるかもしれないなあなどと思っていたのですが、本当にそうなってしまいました。
不思議なことです。
そして母が昨年亡くなりましたが、父の命日の1週間後の日でした。
やはり6月でした。
何かいろいろなことで生命が動く時なのでしょうか?
ちょっと不思議な気もいたします。
今年もかなりの暑い夏が待っているように思います
が、この季節の様々な命の動きに目を凝らし、耳を澄まし、感じたいと思います。