お尋ねしたいことがあって、ラインをした方と、今年の夏のピアノの会の練習の件を合わせてお尋ねしました。

 

(ピアノの会でテーマになっている時代の作曲家の歌の作品を毎回歌わせていただいているのです。長ーい時間がかかるコンサートですので、ちょっと歌の演奏も入れてという形になっているのです。今回は歌うのは3人ですが、その中でピアノを演奏しないのは私だけです)

 

合わせにいつも使っていらっしゃる場所があるので、そこの時間帯を半分ずつ使うのはどう?というご提案があり、伴奏の方とも相談して場所をとっていただくことにしました。

そういう節目を設けて演奏に向かって動き出さないことには、自粛生活で閉じこもっていた活力が生まれてこないように思います。

 

公的な場所ですので、またコロナの具合でダメになる可能性もありますが (昨年、閉鎖されてしまい練習できなかったのです……) 今のところ感染対策をすれば大丈夫のようです。ただしピアノがアップライトのようですが、まずは一回合わせてみたいと思っています。

私の方はずっとレッスンで取り組んでおりますので、少しずつ難しい課題をクリアすべく努力しております。

昨年最初に取り組み始めた時よりは変わってきつつあるように思います。

 

今回、今週やってみたことを活かせるように一回歌ってみましたら、お弟子先生が、「もし今のあなたの歌を大先生が聴いたら、どうおっしゃると思います?」とのお言葉。

「はて?」またダメなのかな?………

 

「きっとよく頑張ったねとおっしゃるわよ」とのこと。

「えっ?」

一回歌い終わって、「良かったわよ」と言われることはほとんどないのです。

「今回もまた、どこが悪かったんだろう」と心して聞いていましたので、ビックリです。

 

前回、前々回とこちらの方向で  と自分で見定めた方向が「間違っていなかったんだ」と嬉しい気持ちが広がりました。

 

まあ、その後また細かいところを直していくレッスンになりましたが、「歌っている中でここはどうして低い響きになってしまうか……原因はこの短い音符の歌い方にあるのよね……これをこう歌ってみて」といったような細かい部分の連続です。

こういった作業を経て、少しずつ他の音型の部分や歌詞の子音との関係ということにも応用できていくようになるのです。

今までは、そうやっているつもりでも、なかなか「こうやってごらん」と言われた方法とは別なところ、別なやり方になってしまっていたように思うのです。

はっきり言って本当に嫌になることが多かったのです。

 

それが少しずつ「こう歌ったら」というところにきつつあるということは嬉しいことです。

本当に繊細な部分があるのです。

少しずつ今までに培われてしまった症状になってしまうところを、一つずつ消していく作業と、こちらの方向でというものを身につける作業を同時に行うことになるので、かなり神経を使うのです。

その感覚が生きているうちに自分に身につくように繰り返すわけなのですが、自分への集中力が途切れていると間違った方向に行きがちになるのです。

 

集中力が働いている時には、他の歌へ応用することができ、「このような音型の時にこういう風に歌ったら動きがスムーズになるなあ」と言ったことが考えられるのです。

 

大先生が若くて、声がバンバン出るような方に、「リートを歌ってこういうことを勉強していってごらん」とおっしゃっても、だいたい勉強されずに、レッスンにリートを持ってくることがないそうです。

なるほど………

そう言った風潮はあるように思います。

 

身につけていかなければならないことは山ほどあって、若いうちに大きな強い声が出るという価値観だけではやっていけなくなる日がくるのだということが、まだまだ理解できない部分があるのですね。

 

そんなことを言っている私だって、やっと今高い山が見える麓にたどり着いただけなのだと感じます。

そこにたどり着くまでの道が迷い道だったのです。

しかもまだ、迷い道を彷徨っているだけかもしれませんが……