近頃フレーズの歌い始めがどうにもうまくいかないので、「何を忘れているのだろう」と考えていました。
歌い始める時、瞬間にここをこうしてこうやって、こういうふうにという感覚を他のことに気を取られていると、いつの間にかそれまでうまくいっていた時にやっていたことを忘れているのです。その繰り返しです。
そのバランスが崩れかけている時に、お弟子先生のレッスンで思いだしていくということの繰り返しなのです。このところ歌う音程は低めですし、喉がしまっているし、開けようとするとかえって息が止まり声がこもってしまうということの繰り返しでした。
それがこの前のレッスンの一言で何を忘れていたのかが分かりました。
こんな繰り返しです。
今までも言われ続けているからこそ、レッスンの時に指摘されると蘇ってくるのですが、新しい課題に挑戦している時などにはすっかり忘れているのです。
どうも基本が身についていないのですね。
本来はこういったことはもう身について無意識に歌ってもその態勢になっていなければならないことなのだと思いますが、まだまだ意識していかないと、新しいことをしようとするとすぐに抜けてしまうように思います。
もうこれは繰り返し繰り返し自分に叩き込んでいくしかないように思います。
曲が変わって難しさが変わってもそれに左右されないように、考えて練習しなければならないように思います。
それから応用の範囲を少しずつ慎重に広げてみることかもしれません。
2月、3月と再開されることになった、別の歌曲講座の楽譜を提出する期限が先週でしたので、2月までの時間と今1番自分で何を試してみたいかを考えて、2曲を選曲しました。
今お弟子先生に細かく指摘されていることを、別な持ち味のものに慎重に応用していくことに挑戦していきたいと考えました。
2月の課題は、イタリア語のディクションで取り組んでいた〈柳の歌〉 、3月は先日聴き
に参りましたリサイタルで歌われた委嘱作品であった日本歌曲。
実は先々週あたりから、選曲を頭において毎回一度は歌ってみておりました。
最初はディクションでやったことも頭から抜け落ちておりましたが、だんだん思い出してまいりました。
以前の自分はほとんどオペラのアリアに取り組ませていただいておりました。
職業と年齢を重ねるにつれ、そういった無理な生活に声が耐えられなくなり、故障がおきるようになって、自分の中でこのままではいけないという焦りのようなものがあったのだと思います。
オペラアリアを勉強させていただきましたが、かなり荒っぽい勉強の仕方をしていたように思います。
その時師事していた先生に、「一度ヴォーカルスコアを頭から全曲通して一冊勉強してみるのはどう?かなり勉強にはなるわよ」と言われていましたが、
ちょうど勤めの方もめちゃくちゃに忙しい時期と重なってしまい、そのままそのお話は立ち消えになりました。
しかしこの言葉は心に残っておりました。
こちらの先生には1番苦しい時期に、みていただいていたのですが、その後の勉強の方針の違いで、離れることになりました。
その後、大先生のレッスンの聴講を経て、お弟子先生のレッスンを受けて勉強することと一緒にレッスンを受けることができるようになりました。
しかし、今まで自分が得てきたと思うものを全て白紙にすることから始まったように思います。
そんな状況の中で、今、オペラのアリアをレチタティーヴォ付きで練習してみて、まず言葉のこと、ヴェルディが込めた音符の微妙なニュアンスが、同音連打のような音符に込められていることに改めて気がつきます。
これは本当に難しいのです。中音域の部分で言葉の子音や、言葉のニュアンスを伝えようと思うと力が入って、声が白くなってしまったりするのです。
それを自然な流れでやらなければならないのですから、これは本当に難しいことです。
この〈柳の歌〉は、歌うところとしゃべるところと混在しているようなところがあり、地味な印象を受けますが、かなり難しい歌です。
ディクションで教えていただいたことと、今やっている発声法を駆使して、無理なく歌えたら良いなあと思っています。
今自分の練習をする時、この歌から始めてみて、無理な発声をしてしまうとヘンデルが歌えなくなったりノイズが入ったりしますので、検証している感じです。
この歌の直後に、R・シュトラウスの歌曲 を練習しても歌えるようになりました。
もちろんかなり慎重に練習しているのです。
この展開が次へつながっていくと良いなと思いながら……