つまり、《トスカ》のDVDでした。
実は、この映像をどこで求めたのかあまり記憶がないのです。
日本語字幕は無くとも、トスカが現代風なドレスであろうと、トーマス・ハンプソンのスカルピアが、タキシードを着ていようが、私の狙いは、カウフマンなのですから。
2009年のチューリッヒ歌劇場で演じられたものです。
トスカ エミリー・マギー
カヴァラドッシ ヨナス・カウフマン
スカルピア トーマス・ハンプソン
という歌手が勢ぞろいのステージでした。
しかし、購入しては見たもののすぐ見ようという気持ちにならなかったのは、まるでハリウッド映画のような舞台写真のせいかもしれません。
それと、カウフマンがあのカヴァラドッシをどう歌うのだろう……
なんだか、彼にカンツォーネを無理矢理に歌わせてしまう感覚と似通っているように思うのです。
はっきり言えば、明るい、輝くような声が似合う役柄をどう歌うのだろうとちょっと心配な気持ちもあったのだと思います。
もちろんプロなのですから、この方らしいカヴァラドッシをお歌いになるだろうということはわかっているのですが、やはり人には、向き不向きというものがあるように思うのです。
同じ血だらけになるにしても、ウェルテルとは違うわけですから……
血だらけになりながら、「勝利だ!」などと叫んで歌う熱血漢の絵描きの役は似合わないように思ったのです。
しかし、その問題の場面がとてもよく似合っていたのにちょっとびっくりしました。
彼の少し暗めの声でも、その声を生かした彼らしさが前面に出てそこの場面で一気にカウフマン、カヴァラドッシに納得してしまったように思います。
はっきり言ってそれまではちょっと違和感の方が大きかったように思うのですが。
やはり、2幕目のファルネーゼ宮殿の場面は見た目から言って、アメリカのハリウッド映画のように感じてしまうのです。
ハンプソンのスカルピアはまるで、ギャングのボスで、トスカがその情婦、カヴァラドッシが、その情婦に手を出した素人さん……でもそんなに堅気一方とは言えない……
という印象でした。
まあちょっとどうしてマフィアの親分に逆らって痛めつけられる恋人のように見えなくてはならないかが疑問でしたが。
スカルピア、に自分を差し出すという場面のトスカは、イヤリングを取り、手袋を脱ぎ、ドレスを脱いで、下着の黒いシュミーズになって、スカルピアを誘う形でした。
敬虔で、愛するものを愛撫するだけのはずの美しい手と後でカヴァラドッシに賞賛されるトスカとはおよそかけ離れた性格のように思いました。
今までのトスカは、ローマを恐怖に陥れていた男であっても、自分が殺人を犯したことに
恐ろしさと、後悔の念を抱き、出て行くまでのその場面で彼女の人間性が感じとれる演出があるのですが……あの有名なカラスのトスカの映像のように……
しかし、このトスカはまるでそれを予定していたようなのです。
死者に対して、ロウソクの火を脇に置き、恐れ慄きながらも、カヴァラドッシを救いに部屋を後にするという場面が、自分が持ってきたバラの花束をしっかりと抱え、そのバラの一輪をスカルピアにのせるという演出はそもそも、初めて人を殺してしまった女性には見えません。
しかも音楽が、かなりそういう場面で説明的すぎて、ドラマのBGMっぽい働きをしているのです。その演出に合わせて、思いっきりルバートしたり、ゆっくりしたテンポがその行動を説明しているものに聞こえてしまうのが不思議でした。
カウフマンのあの独特な弱音の〈星は輝き〉は普通の声を張った悲しみが張り裂けんばかりの歌ではありませんでしたが、彼の魅力がよく伝わってきました。
演出も銃殺の場面を、客席に向かって銃を撃つというような普通考えられない、映画のそう言った場面を彷彿とさせるもので、見ているものをびっくりさせる要素があったことは確かですが、これを是非見たいかと言われたら、う〜んと唸ってしまうことでしょう。
しかしカウフマンの歌の魅力はかなり伝わってきたことは確かです。彼なりのカヴァラドッシは堪能できたということかもしれませんが……
指揮は パウロ・カリニャーニ
演出はロバート・カーセン
チューリッヒ歌劇場管弦楽団
のライブ収録のものでした。