何故か、この暑い日々が続く中、洗濯の後、実家に避暑に行き、金曜日の歌のレッスンのために練習をしました。(朝から1日予定がなく、フリーという日はなかなかなかったので他にもいろいろやりました。本を読んだり、テレビを見たり……)

 

その結果、木曜日に練習していて、なんだか近頃初めて純粋に「楽しいな」という気持ちになったから不思議です。

自粛期間中も、せっせと練習はしておりましたが、自分でどうしてここは歌いにくいのだろうとか、研究してみる時間はあったし、実際こうやってみたらどうだろうとか、試してみることもできましたが、世の中が自由にそんなことを語っていける雰囲気でもありませんでしたし、レッスンしていただいて、その結果が良い方に向いているのか、また違う方向へ向いてしまっているのか、常に不安があって、試している中にこの声は良い方向ではないかと思っても、みていただく時にそれが再現できなかったり、つまり自分の身についたものではなかったのです。

自分への自信のなさが、楽しいという気持ちを起こさせるものではなかったのです。

常に不安感があって。

 

しかし、このところ2回ほど、1日を歌のレッスンで送るという優雅な機会を経て、時間で縛られて、キリキリっとした気持ちでレッスンを受けるのではないので、心の余裕というものが違うように思うのです。(別宅レッスンでしたので)

 

先週、ヘンデル2曲を暗譜していこうとしたのですが、結局新しい方の1曲が覚えきれずにおりました。

今週はこちらの曲も覚えようと歌っていたのですが、主題のメロディーを少しずつ変化させて、積み上げていく作曲の巧みさが、難しいと同時に、曲の構造をしっかりと覚えようとさせるのです。

そこの微妙な違いを歌い分けて、ここは前半の部分の2回めのところで、次に来る第3の部分とこういうところが変わっている………とか暗譜にあたってその違いを明確に歌い分けられるようにするのです。だいたいそういった部分が難しくできているのです。

長い息で歌わねばならなかったり、音程がとりにくかったり、跳躍する音程や、調性が変化していたり、違いを明確に歌うことが必要になってくるのです。

そういった難しい箇所を少しずつ攻略していくことが、今現在楽しいと感じることができるのですから不思議です。

 

心がそちらに向いていないときは、レッスンでワンフレーズ歌うのに何回もやり直しをして気力がめげてしまうと言いますか、どうしてこうダメなのだろう………と感じてしまうのです。

その結果、同じところを行きつ戻りつして前へ進めない状態になるのです。

その停滞をじっと我慢しなければ先はないのですね。

 

そんなことに気がつきました。

同じ場所にウロウロいるだけでも大変なのですきっと……

そんな時を経てある時、こんな感じで歌ってみたら というヒントがやってくるように思います。

 

先日お弟子先生の運転でドライブ中、「この曲が頭の中に出てきてしまうのよね」とおっしゃって、Flammende Rose, Zierde der Erden の冒頭の部分を歌われたのです。

それこそ、鼻歌のように……

思わず私もその後を続けて、鼻歌のご唱和をしてしまいました。

 

まだ、私は自分から鼻歌でヘンデルは出てこないだろうなと思いながら……

 

もし出てくるとすれば、友人が今取り組んでいる、同じヘンデルの、《ジュリオ・チェーザレ》の中のクレオパトラのアリアの早い部分だろうな……(緩急緩の急の部分だろうな)

などと思いました。このクレオパトラのアリアは、かなり以前なにもわからないまま、取り組んだことがあります。(もちろん別な先生に教えていただいている時です)

その時はこの音のつながりと、コロラトゥーラの部分を形だけでも歌いきるために必死で、その為の練習方法もわからずに歌っていたのだと思います。

 

彼女のレッスンを聴きながら、「コロラトゥーラで歌う時、そのフレーズの低い音から高い音までスラーをつけて歌って、その喉の状態のまま息のながれに乗せて音の粒を入れていってごらんなさい」という練習の仕方をやっておりましたので、早速自分にも応用させていただきました。

どなたかのレッスンを聴講した時にも聞いている言葉なのですが、それを聞くタイミングや、その言葉を受け取れる状態にあるか、という受け取る側のコンディションで、同じ言葉でも意味を持ったりもたなかったりがあるのですね。