この方を最初に聴いた時にびっくりしたのです。
最高音までフルヴォイスで輝かしいままで上っていってしまうなんて。
なんという声なのだろうと思いました。
果たしてこの歌い方で長持ちするのだろうかなどと考えていました。
考えられない音域まで裏声にせずに、フルヴォイスでのまま歌ってしまうその声に、世間はびっくりし、100年に一人の声だという風に大絶賛されました。
しかし彼が世間から認められると、なぜか続々と世界の各地からフルヴォイスの声が生まれてきました。世間に認知されることってすごいことなのですね。
彼がその先陣を切ってくれたおかげで、ペーザロなどで日本人のフルヴォイスで歌うテノール歌手が、出てきました、ぺーザロのアカデミーで磨かれてロッシーニのオペラを始めいろいろなところで活躍するようになりました。(これは私がそう感じるだけでそれまでもそういう歌い方をする方もいたのだとは思いますが、彼ほどセンセーショナルに扱われた方がいなかったのだと思います)
でもこの高い声をフルヴォイスのままで歌い続けるとということは、いかに恵まれた声の人でもたいへんなんだろうなと思いました。
やはりフローレスも、近頃は最初の頃とは違った主人公との曲を歌うようになってきました。
いわゆる普通のテノールが歌う曲にも挑戦し始めているのです。
MET.のライブビューイングの《椿姫》でアルフレード役を拝聴しました。(ディアナ・ダ
ムラウと共演したもの)
もちろんテノール歌手としては上手にこなされているのですが、やはり私は最初の頃のあの輝かしい声を耳が求めてしまうのです。あの《連隊の娘》の時のような……(近頃はハヴィエル・カマレナが歌っていますが)
彼の声を実際に聴いてみたいと思っていましたので、リサイタルのチケットを購入しておきました。
それがよりによってこんな体調の時に……
しかし、意志の力って強いものです。
〜自分の体調に自信が持てなかったのですが、ものを食べると具合が悪くなるので、食べないで行くことにしました。お昼は具合が悪いことに、ごぼうのサラダに、ホワイトシチューでした。これはどちらもパス。パンだけは少し食べたのですが、食べ初めてしばらくして、やはり痛くなってきましたので残しました。〜
朝はゼリー食、昼はこんな状態でちょっと出かけるのが不安でしたので小さいおにぎりを食べて初台まで……
出来るだけ急がないでも良いように余裕を持って行きたかったのですが……
でも行って良かったです。
世の中に出た時のあの声ではなかったですが、彼の美声は磨かれて美しく響いてきました。
ピアノ伴奏のコンサートでしたので最初はベッリーニの歌曲。声楽を学ぶ人のほとんどがよく歌う「お行き、幸せなバラよ」「喜ばせてあげて」この曲に丁寧な歌いぶりがこの方の性格を語っておりました。
その後、ピアノソロを間に挟んでオペラアリアを4曲。
《愛の妙薬》より「人知れぬ涙」
《ランメルモールのルチア》より「我が祖先の墓よ……やがてこの世に別れを告げよう」
《椿姫》より「あの人から遠く離れて…もえるこころを…おお、なんたる恥辱」
《アッティラ》より「おお、悲しいことよ!でも私は生きていた」
だんだん硬さが取れてきて彼の持っているものが少しずつ表れてきたように思いました。
2部に最初はドイツ語のもの
レハールのオペレッタ
《微笑みの国》より「君はわが心のすべて」
《パガニーニ》より「女性へのキスは喜んで」
《ジュディッタ》より「友よ、人生は生きる価値がある」
次にフランスもの
《ウェルテル》より「春風よ、なぜ私を目覚めさせるのか」
《カルメン》より「お前の投げたこの花を」
最後が
《ボエーム》より「冷たい手を」
はっきり言って、彼にちょっとドイツ語のものは合わないかなと思いました。いろいろな面を聴かせたいというプログラムなのだと思いますが、合うか合わないかというと、その次のフランス語の曲の方が数段合っていると思うのです。今の彼の声と雰囲気に合っているのです。高音の部分だけがどうしても昔の出し方風になりますが、私はフランスものの2曲が好きです。《カルメン》のほうは、何度の繰り返し繰り返しみた(LD!で)カレーラスのホセの面影とダブって見えました。
そして最後の「冷たい手を」に至っては今までの蓄えていた力全開の様相を呈していました。これを聴いて恋に落ちない人はいないでしょう…
しかしアンコールでギターを弾きながら歌った、「べサメ・ムーチョ」等 3曲のラテンの曲を歌ってからの(これがとても彼らしいのです……うまいのです。)
「グラナダ」「誰も寝てはならぬ」「女心の歌」
これはもう、この人にあっているとかいないとかの問題ではなく、この方の歌として聴いているものに迫ってくるものがありました。
もうこの方らしさ全開だったように思います。
ステキな一夜でした。