この本が何かの縁で、手元にやってきました。

実はこの本は、学校の図書館にあった本でとても綺麗なままで保管されていた本なのです。

もちろん子供が読む本としてはかなり難しく、専門書、音楽大学の指揮法の授業の教科書としてもなかなか難しい部分があるように思います。

つまり、大人でもかなり難しい部分がある本なのです。

どなたかが寄付されたのかとも思いましたが、贈呈という文字もないのです。

そして内容的にもかなり、古めかしい部分もあり、色々な場面での指揮棒の使い方、指揮のふりかたが書いてあるのですが、今の世の中、線などで図式化して示すより、きっと映像で示す方が便利になっているのだと思われます。

 

昭和41年12月10日  第一刷発行

昭和54年  7月20日  第六刷発行

 

著者のあとがき 1966  秋 となっています。

 

これを指揮科の授業の教科書として使うとしたらちょっと古いかなという記述もありました。「ヤマカズ」は「ヤマカズ」でもこちらは「元祖ヤマカズ」の方ですから。

 

真っ白な髪の毛をそれこそ、振りながら指揮していたお姿がかなり印象的でいらした方でした。彼は、この本の中で、指揮を振る時の姿勢についても書いていて、彼の指揮していた姿と書いてある内容とダブらないので、あれれ、私の印象は誰かのものと混じってしまったのかななどと思いました。

 

 

ある時、日本歌曲のコンサートで、彼が作曲した《もうじき春になるだろう》という歌を聴いた時に、作曲家としての面をとても新鮮に感じたのです。この曲に含まれているユニークな方なのだというイメージに私の中で大きく変わったことを覚えています。

その後、指揮者としての活動をお見かけしなくなってしまいました。(1912〜1991)

 

しかしこの本で事細かにあらゆる曲のあらゆる部分を書いていらっしゃるのにまた驚きました。

例えば、この本に目を通してみましょうかと思ったきっかけは、指揮棒ことについての記述だったのです。

「はじめに」の文章の一番最初にこうあるのです。

1  指揮棒の選択ーアフガニスタン産の草柳

指揮棒は自分の意のままを正確に伝える〈如意棒〉でなければならないのですから、その形は何でもござれというものではありません。

 

との出だしを持つ文章から始まります。

 

その頃の〈棒マニア〉のなかでは、最良品は、アフガニスタン東部の草柳であるとか、ボルネオ郊外の白柳であるとか、リヨンを通るユラ山脈の何々竹であるとか……こうしたことも、要するに、その植物の色、重量、弾力性の度合いを基準に選ばれているのです。

 

いや、びっくりしました。そんな時代があったのですね。

そんな指揮棒の吟味のお話から始まるのですからびっくりです。

 

次に姿勢のお話。

指揮台の真中央に立つ。

肩を張ることはなく、手は指先まで、足はつま先まで、首筋も決して硬直させてはいけない。足は軽く左右に開くか、密着させる。

演奏が始まると、体の重心を左足にかけたり、足の位置を変更したりしますが、コレは禁じられなくてはいけない。

いかなる場合といえども、感動のあまり指揮台から飛び上がるなど、もってのほかです。

 

とのことは、今人気のあの方もこの方も、指揮台の上で、縦横に動いていますし、飛び上がったりしています。うーん。

 

しかし、この本の一番面白い部分は、

応用技法の部分です。

4拍目からの開始という部分では、まず3つの楽曲の冒頭、3〜4小節が載っていて、ここはこういう風に振ると良いと指揮のラインが、書いてあるのです。

ちなみにこの2曲めは、ビゼーの《カルメン》より〈闘牛士の歌〉の出だしが載っているといった具合なのです。

この例が実に幅広い楽曲から採られているのです。

 

しかし、私が目にとまるのは、やはりオペラや歌曲の例です。例えば、「表情」の部分のテヌートの部分には《ラ・ボエーム》から「私の名はミミ」のtutta  forza の部分が載っているのです。 

 

同じ《ラ・ボエーム》でも先入の打法では、〈私の名はミミ〉の途中の箇所が使われているという具合です。半拍ズレてテヌートが付いている箇所の先入の仕方です。

なるほど、指揮者の方はこうい細かい吟味をなさっているのだなあと、思いました。当たり前ですが、このような技術の上に成り立っているのですね。

 

という具合にこういう箇所は、こういうパターンの代表的な部分なのだということが、分かります。指揮法の教科書のようではありますが、「音楽って様々な角度から見ることができるのだよ」ということを改めて教えられたような気がしました。

 

もちろん基本形の1拍目と、2拍目の位置をずらした方が良いというぐらいの指示と、前段階で、違う振り方して、当該箇所はこうやって振るというような難しい指摘まで様々で、どういうことか理解できないとところもありますが、違う角度というのは面白いなと思えました。