久しぶりに面白いなあと正直に思いました。

見ている回数は多い方に属するオペラですが、「へえ〜こう考えたのか?」という気持ちがしたことは確かです。

 

Tokyo. Tokyo FESTIVAL.   の中の    夏の祭典  2019-20  Japan←→Tokyo←→World

という催しの一環とのこと

《トゥーランドット》

7月12、13、14日  東京文化会館

7月18、20、21、22日 新国立劇場 オペラパレス

7月27、28日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホール

8月3、4日 札幌文化芸術劇場hitaru 

 

という日程の初日でした。そういった理由からか、小池都知事も来場して鑑賞していらっしゃいました。

 

いやー大掛かりな舞台でした。

幕が開き、音楽が始まる前にトゥーランドットの、彼女の中にトラウマとなって残ってしまうシーンが演じられ、それから音が鳴り始めるのです。

(すみません。少し書かせてください。ネタバレになってしまう部分もあります)

ここの暗さの原因は、北京の市民が、各国、各地域の難民な方々の様相なのです。インドシナの難民かなと思う方々(ヴェトナムなどで被られている笠のいでたちの方が何人かいるのです)ロシア風の難民の方、カラフ、チムールはこの出で立ち。リューは、どちらかというとインド風?

インド風の方、そのほか南米のあたりの難民の方。共通しているのは、皆さん顔が汚れ体も汚れ

た出で立ちなのです。

その出で立ちの中で、少年合唱、北京の役人、皇帝、トゥーランドットが白い服装で、その白が際立つのです。

そのほかの方は気の毒なくらい汚れた顔なのです。

最初のピン、パン、ポンですら最初に着ているものはランニング型のシャツに作業ズボンという形に、酒瓶を持って歌うといった具合???

何しろちょっと変わった空間に難民の群れ、その中にカラフもリューもチムールも紛れ込んでいるのです。ピン、パン、ポンですら…

何か、北京の市民というよりは難民の群れといった風情なのです。

そして、カラフは難民の代表のような形になっているのです。

 

うーん、その難民の群れと、トゥーランドットの乗った宇宙船のようなものが青じろく光りながら降りてくるのですが、まだ十分高い位置で初めて顔を見せるのです。

 

その宇宙船が下まで降りてきて、最後の幕は白い四角い空間なのですが、それが何かレスリンかボクシングのリングのように見えるから不思議です。

そして普通リューは死んでしまうと、さっと片付けられてしまって、カラフとトゥーランドットの愛の二重唱っぽくなっていつも違和感なのですが……

ずっとリューはそのリングに倒れているのです。

 

最後にその理由のようなものがわかるのですけれど……

そういう違和感を、不合理だと感じたものを、論理性を再現することを目的としてきたのだという、演出家のプログラムの最後の言葉が急に重く感じられる幕切れでした。

うーんそうでたか……

 

これから8月までたくさん公演が控えていますので、ギリギリここまで。

すみません、何故おもしろいと感じたのかを、書きたかったのですが。

今までの中国風な豪華なという舞台の作りとはかなり変わっているのだということを書きたかったのですが…

 

なぜか最後の幕が、マツコデラックスさんに見えてしまったトゥーランドット。

そう思ったのは私だけではなかったようで、帰り道にそんな声が聞こえていました。

本当に強いお声で、固い感じはあるのですが、この役にはぴったりだったかもしれません。

リュウの中村さんは、ピアニッシモを上手く使って美しく、トゥーランドットとの声の違いが際立っていました。いつも小さいホールでのリサイタルでは少々声が大きすぎてしまう印象があるのですが今回は役のキャラクターを十分に演じていらっしゃいました。

カラフは、充分お声も高音も出ていたのですが、1箇所だけあれっという箇所がありました。謎を解きの最初の謎の答えの部分です。

で少々無理があるのかなあと感じてしまったのですが、その後は順調でしたので、アクシデントの類だったのでしょうか。

《だれも寝てはならぬ》の最後がちょっと普通の方より短めであったようにも思いましたが。

 

指揮:大野和士

演出:アレックス・オリエ

 

トゥーランドット:イレーネ・テオリン

カラフ:テオドール・イリンカイ

リュー:中村恵理

ティムール:リッカルド・ザネッラート

アルトゥルム皇帝:持木 弘

ピン:桝  貴志

パン:与儀  巧

ポン:村上敏明

官吏:豊嶋祐壹