久しぶりにパーヴォ・ヤルヴィの指揮を聴きました。

この土曜日は蒸し暑い日でした。

金曜日の雨が朝にはまだ残っていましたが、だんだん日が出てくると同時に暑くなってきました。天気は回復しても湿り気はそのままなので蒸し暑くなりました。

土曜日の6月定期でAの1日目は今シーズンの終わりでした。

早いもので次回はもう9月です。

 

今回のプログラムは、前半はマーラーの歌曲。

後半はニルセンの交響曲第2番「4つの気質」

 

と2曲合わせて1時間と少々でしたので、休憩時間を入れても、8時半には終わりという時間帯でした。

私はマーラーの歌曲を聴くことができるので、プログラムとしては嬉しかったのですが、オーケストラファンとしては少々もの足りなかったのでしょうかね……お客様の人数がやはり少なかったように思います。トイレや、軽食コーナーなどの混み具合でなんとなく人気の度合いがわかるのです。いつもより空いていたように思います。

先月は日曜日のマチネに振り替えていただいたので2階席だったのですが、2階は後ろの方はガラガラ状態で、ビックりでした。

土曜日はテレビの収録があるので、テレビカメラやマイクなどがしっかり設えてあって、それなりに緊張感も漂うのですが、今回のプログラムは、後半の曲は私は初めてのように

思いました。自分は当てはまるとしたら4つの気質のうちどれなのだろうとか思いながら聴いていました。皆さん解説に色々書いてあるのでやはりそういう風に聴いてしまうようです。「何かに例えるとすれば」という風に。別にそう聴かねばならぬということではないと思うのですがそれに縛られているようにも思えますが……

 

…時々かっちりしたオーケストラの曲を聴きたくなりますが、私の場合定期的に行くのはN響だけですし、他で行くとしたら歌のソリストを聴きたくて行くという場合が多いのでどうしてもプログラムが変わったものになりがちになるのでしょうね。どちらを採るかということになるのです。……

 

さて、マーラーです。

マティアス・ゲルネはどこかで聴いた方だなあと思いましたら、先日?(2017年)のバイエルン国立歌劇場の《タンホイザー》で、ヴォルフラムを歌い、その時に開催されたペトレンコ指揮のバイエルン国立管弦楽団のコンサートでもマーラーを歌っていたのでした。

(こういう時は自分のブログを探すことができるので便利です。そしてそこでどんなことを感じたのかも書いてあるので、そうか、この時はそんなことを感じたんだという風に、思い出すことができます。こうやって読んでみると記憶力って曖昧なものなのだということがわかります。探して、自分でも読んでみました。この時はこう感じたんだなあという思いが蘇ってきました。その時の気持ちと今回残っているものを比べることができました。)

 

なるほど、彼を最初に聴いた時《タンホイザー》のヴォルフラムでは、演出の意図に沿った形で決して吠えないワーグナーとのことで、とても歌いにくそうであったと、そしてその「夕星の歌」が自然に流れ出さないので、違和感を持ったという感想を自分で書いているのです。

管弦楽団コンサートのマーラーでは、《タンホイザー》の時よりは、自然な流れが取り戻されているように思うと書いているのです。

しかし、ワグナーを歌ったフォークトの方に字数を多く割いているので、強い印象はどちらかというとそちらにあったように思うのです。

リートの場合、よく大先生がレッスンで言われるのは、声の色、言葉や内容による曲の変化なのです。オーケストラ伴奏の場合その細かいニュアンスが伝わるか、どうかなのですね。

どうも、大先生もその言葉の裏に、私たち日本人が感じ取れない部分があるというニュアンスを含んでいるように思うのです。

日本にいらっしゃってまだ間がない頃、先生がまだ何回かコンサートでお歌いになっていた時、「日本人の感想は声が小さい(弱い) ね」だけだったとのこと。

細かい言葉のニュアンス、その声の色の変化、弱音の美しさなどには関心がないのだと思ったとのこと。

もしかすると、ゲルネの歌もそう聴いているのかもしれないと思いました。

しかし、3500人以上入るホールでしかもオーケストラ伴奏で聴くという条件があるとやはり、音量が問題になるのだと思います。

でもきっとゲルネの声は舞台を牛耳る大声ではないのですが、きっと隅々まで届く声なのだと思います。息の流れに乗った声とはそういうものなのです。決して強い声で隅々まで届くという意味ではないのですが、「そういう声の価値がまだ日本には認められていないのだ」と言われるとそうかもしれないなあと思うのです。

リートというものについても。オーケストラ伴奏のものに関してもまだそのバランスについてもよくわからないのだという気がします。

先日のオーチャード定期のリートの演奏に関して、声の色を感じることはなかったように思うのです。声量的には充分だったように思ったのですが、ピアノ伴奏で同じ曲を聴いた時のような感動はなかったように思うので……

今回のマーラーで、やはり大先生のレッスンで聴講して印象が深かった、《トランペットが美しく鳴り響く所》や、《原光》《少年鼓手》などが心に残ったように思うのですが、緻密な楽曲解釈を聴き取ることができるところまでまだ自分の力が成長していないのだなあと1年半ぶりに聴いて感じたわけです。