今年初めてのディクションのメニューは

昨年度やったものの復習シリーズその2でした。

 

Ave  Maria                                                               Rossini

Come  raggio  di  sol (陽の光のように)                        Caldara

Nebbie  (霧)                                                             Respighi

 

の3曲でした。

 

Ave  Maria     は本当に最初から最後まで ソと♭ラ(一点音)の音しか出てこないので、(変ホ長調)メロディーの抑揚というものは、自分で作り出さねばならないのです。

 

リズムに乗せて、アクセントや、シンコペーション、クレッシェンド、デクレッシェンドなどの強弱記号、 a  piaceere  〜   a  tempo   espressivo   などの記号類を読み取って

この祈りの歌を歌うわけです。

 

ピアノ伴奏が、その部分のニュアンスをつけているのですが、やはり、ただレガートといっても、ここのレガートの歌い方はこうなのではないかというご指摘があります。

ただ、滑らかに歌うだけでなく、当たり前なのですが、そのフレーズの中のポイントになる言葉に照準を合わせて歌うわけです。本当にそういったことが不得手なのだということ

が指摘されて初めてわかるのです。

 

先生が言っていました。イタリアに行って、帰ってきて3日ぐらいは声のトーンが高くなっているそうで、「今日本語を喋りながら喉にゴロゴロ触ってノイズが入るけれど、こういうことはないのよ」とのこと。

日本語をずっと喋っているとトーンが必ず低くなってしまうとのこと。

 

で、イタリア語の調子でしゃべっていると、周りから「なんでそんなに怒鳴っているのよ」と言われるとのこと。

 

なるほど……

 

今日の曲の中で  Nebbie  を歌っている時に、先生が「なんでみんなその付点音符があまくなってしまうのでしょう?」と不思議がっていました。

お若くてまだまだ声がバンバン出てしまう方に注意なさっているのをじっと聞いていましたら、やはりそれは子音の問題なのではないかということに気がつきました。

 

実は5日の日の初稽古の日のレッスンで、一曲にかなり時間をかけて、発音並びに発声の問題についてかなり直されました。くちびるに力が入ってしまって息が自然に流れないこと、一つ一つの発音に口の形が大幅に動くことなど、「年末にできていたことがまた忘れてしまっているわね」とのきついご指摘がありました。2小節歌うのに10分かかるというレッスンでした。

まあ、こういうことになるとがっかりしてしまうのです。挙げ句の果てには「今度のコン

サートでは、随分柔らかな声になったわねといわれるといいわね。」とのこと。

「今の歌い方でも、あなたのファンはいるのよ。でもそうやって歌っているのだったら、別に大先生のところへ来る必要はないわよね。大先生の歌い方は違うのだから……」

「しっかりと喉で掴んでいてちっとも流れていってないわよね。だから固い声よね」

 

「どのくらい硬いのですか? 」

「今のところ鉄ぐらいかしら、鉄は伸び縮みしないから。柔軟性がないから…」

 

 

こんなやりとり。

まあ何しろ大変です。

帰ってから、指摘されたことをまたああなのかな?こうなのかな?

とやってみたところだったのです。

 

そんな耳で本日のディクションにのぞみました。

まず指摘されたこと、「ここの発音の時はもっと喉の奥を開けてスパッと声を出してごらんなさい。今のままだと、響がそこで止まっているわよ。これはイタリア語なのだから。ドイツ語ではないのよ」

そうして言われたようにやってみると今まで経験したことのない声が出るのです。

そこが歌のむずかしさなのです。

実はこうやってごらんなさいと言われて、そうできるようになるためには、前々日のような嫌になってしまう、細かなレッスンがあるからなのです。

それは今までの経験でわかっているのです。

自分の欠点をなんとかしようという方向で考えているから、「こうやってごらんなさい」ということにチャレンジして、違う声、新しい声に出会うことができたりするのです。

その前段階がないと、正しい方向に入っていけないのです。

これが難しいところなのです。今までの悪い癖のようなものはそうは簡単に消えてくれな

いし、今まで何十年もかかって覚えてきてしまっているものなのでなかなか治ってはいかないのです。

 

でも、最初の頃このディクションでも、イタリアものということで不自然に力が入り、ギリギリガリガリという声が出ていたのが、そこの段階はクリアできてきたことを評価して

いただけているような気がします。

 

Nebbie の付点音符がなぜ先生のように歯切れ良くないのか?

 

どうしても、母音で長ーく伸ばしてしまうクセが日本語の特性の中にあるように思います。子音があまりなく、そのままぼーっと伸ばしてしまう癖。

 

例えば、   はーるの   うららーの

 

のように

 

le   nebbie    sonnolente   salgono  dal   tacente      piano

         ⬆️         ⬆️                ⬆️        ⬆️        ⬆️

レ  ネビエ     ソノレンテ     サルゴノ  ダル  タチェンテ   ピアノ

 

                        

という感じになってこの⬆️の部分の LやNが あるいはBBのように微妙に詰まる部分がうまく入らず、平坦になってしまうのが主な原因なのです。

イタリア語とて、子音がきちんと入らなくては、それに合わせた曲の付点の表現などができないわけで、先生は何も言わずともしっかり入っていてそれが当たり前になっているので、先生の耳には付点のあまさと聞こえるのだと思います。

実は子音の入り方ができていないのだということが原因なのだなあということが、もっともっと細かい子音のことで注意されている状況にあるので、気付くわけです。

 

そういった問題意識が今まで無さすぎたのかもしれません。

 

いやいや何事も一つずつ、解決していく、途方もない時間がかかることなのかもしれません。ため息が出ますが、そういったことがわからずに、やることがわからずに、焦点が定まっていない状態よりはずっと良いのかもしれません。