《藝大130周年記念音楽祭 未来永劫 》 とのこと
かなり以前、何十年か前、クリスマス辺りに旅行に行った時、知り合った方の中で高校生の方がいて「オンド・マルトノ」という楽器が好きだし興味があると言っていました。
音楽関係のお家の方でした。自身は金管楽器を吹いていました。
その少し後に、その楽器(オンド ・マルトノ)のレクチャーコンサートがある情報をお知らせしたところ、喜んで参加していらっしゃいました。その時私もどんな楽器なのかその機会にコンサートに行き、初めてその楽器の音や構造を知りました。
その後、間も無く《トゥーランガリラ交響曲》というメシアンの曲が、たしかN響の定期演奏会の曲目にのぼり、聴いたように思います。
その後、あまり出会うこともなくきたのですが、久しぶりにこのコンサートのチラシを拝見し、なつかしく思いました。
よく見ると今まで見聞きしたことがない「クラヴィシンバルム」という楽器や、1839年製の「フォルテピアノ」などの音をお聞きすることができるようです。
それに、アナログシンセサイザーの紹介もあるようです。
その昔、コンピューターミュージックの出始めの頃、興味に任せてその楽器の説明やらをしてくれるというやはりレクチャーコンサートに行ったのですが、本当にちっとも理解で
きなかったという経験があります。(聞けば聞くほどわからなくなる)
そんな楽器たちが一堂に会する機会のようなので、ちょっと行ってみようかなと思いました。こういうお休みの時で、精神的にも少しゆったりしている時で無くては、行ってみようとは思わなかったと思います。
そういう機会だからこそ、感性を全開にして受け取ることができるように思うのです。
受け取るこちらの気持ちが余裕がない状態であると、ただ音が素通りして行くだけになってしまうので、要注意!
今年、私は勤務先の学校でいつものこの時期よりも働きすぎています。それでこの冬休みを長めにとることになりました。今週いっぱいが猶予の時となっています。
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こういう時に経験しておきたいことを考えて、もう一つレクチャーコンサートにいくことにしてしまいました。今週ですが。
《鈴木優人と旅するクラシック オランダ編 音楽と美術と法学》です。
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暗くなった上野公園を突き抜けて、新しい奏楽堂までいきましたら、奏楽堂の前の大きな木にイルミネーション、木が全体で光っている感じです。そこまでが暗かったのでひときわ明るく感じます。なんだか幸せオーラが出ている感じです。
やっぱり、オンド・マルトノの音が美しかったです。
まずそれぞれの楽器の説明をしてからその楽器で演奏するという形です。
オンド・マルトノの楽器の特徴を、見えにくいところなどを映像で大きな画面で映してくれるので本当に、よくわかります。
スピーカーの裏に本当にドラのようなものが取り付けてあったり、一番特徴的なスピーカーのような形のものには弦が張ってあって、その音がするのだとか。
前も聞いているのだとは思うのですがちっとも覚えていません。指輪と呼ばれる金具に指を入れて動かすと
グリッサンドになり、特徴的な音が生まれるのです。1920年にこれを聞いた人たちの驚きがわかります。今の私もやっぱり驚いているのですから。
今回一番嬉しかったのは、やっぱりこのオンド・マルトノの音でしょうか。
それから一番最初に演奏された、設計図はあるけれども、本物の楽器自体は残っていないので、その設計図を元に復元されたクラヴィシンバルムでしょうか。
本当に鍵盤楽器としては小さいのですが、ピアノのように弦を叩くタイプものと、引っ掛けて音を出すものと2種類あり、そのどちらも弾いてくださいましたが、なんと鍵盤楽器といっても絃楽器なのだということが良くわかりました。
形もちょっとそんな風でしたが、竪琴のようなイメージでした。
説明の中で、弦を張って指で弾いたり、もので叩いたりしていたものが、テクノロジーの象徴である鍵盤を用いることで、色々な弾き方や新しい音を見出してきたのだとそんなお話がありました。
そうですよね、鍵盤というものを考えて表現が飛躍的に伸びたのですから、これは革新的なことだったのですよね。
そう言われてみて、初めて鍵盤というものの不思議さを思いました。
不思議と言えば、藝大の楽器であるフォルテピアノは、1839年製のウィーンのC・グラーフ製作なのだそうですが、シューマンがクララと結婚して、この同じグラーフが作ったフォルテピアノを買ったそうなのですが、そのピアノと今回演奏されたフォルテピアノは製造番号がとても近いそうで、もしかしたら、新婚時代のふたりが楽器を試奏した時にこの楽器も弾いたかもしれませんねとのこと。
そういう時代の重なりって不思議だし、想像力もたくましくなります。
そんなに縁遠いことではないのだという気になります。
このピアノでは、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマンの曲が演奏されました。
最後に、クラヴィコードとコンピューターのためにという曲が演奏されましたが、コンピューターの合成された音の中に、あのか細いクラヴィコードの音が増幅されて重なって行くのですが、まるで、砂漠の中で聴く竪琴の音色のようでした。
そうシルクロードのような壮大な世界の音のようでした。
コンピューターで新しい音を合成しても、耳は自然の中にある音を求めているのです。