水曜日朝の、演奏の発表が終わってやっと本当に今年の授業が終わりました。
約束をしていたので 朝早く行って、一回練習をしました。
昨日、変な眠り方になってしまい、かなり起きるのが辛かったです。寝不足でした。
しかし、せっかくやるのですから、今年の締めくくりなのですから、手は抜けません。
よくお子様たちも集中力を切らさずに演奏することができました。
この間の月曜日の練習の時と今回とに食い入るようにこちらをみている児童がおりました。
先日、授業の振り返りに「先生が厳しいので音楽が嫌いになってきた」と書いた児童です。授業時間の最後にちょっと呼んで話をしたのです。
「君の顔が暗い感じになってきたのでとても気になっていた」ということを話しました。「こういうことが嫌いになった原因だということを話してごらん」ということで彼の言い分を聞いてみました。
話をしているうちに、明るい顔つきになったので、もう大丈夫かなと思っていた児童です。ちょっとしたことだったのですが、自分のことを気にしてくれているということは彼にとってとても嬉しいことだったようです。
本当に一生懸命こちらをみていました。
そんな姿は、本当に健気で、感動的です。
しかし、勤めに行ったら行ったで仕事はあるもので、結局3時間近くいることになってしまいました。
午後からは、声楽講座があるのでそんなにのんびりしていられません。気にはなっていたのですが。
本日は私は出勤日ではないのです。(つまり本日もボランティアなのです)
時間的に結構忙しくなってしまいました。
一度家に帰り、着替えて少し声を出してから出かけました。
今習っている講師の先生の大学の講座としては、あと残すところ来年2月から始まる日本歌曲の講座が一回になってしまいました。
そのせいもあるのでしょうか、グルベローヴァのチラシのうたい文句ではありませんが、「古希を過ぎてなお」この講師の先生は、ミニコンサートの最後を飾って、なんと「夜の女王のアリア」をお歌いになりました。
決してこの歌に向いていらっしゃるわけではありません。
かなり無理しているところもみられますが、飽くなき挑戦の姿はびっくりするものでした。
講座の最後に受講生からの一言という時間があるのですが、正直にその挑戦の姿に驚いたし、その姿に触発もされたという感想を述べました。
「人生ギリギリのところに挑戦しないと面白くないじゃない。崖っぷちを歩いているという感じよね」とのこと。
う〜ん。
もちろん、ご自分でも無理無理感はご承知な訳です。
本当の公の場ではこれは通用しませんが、私的なこういう公で試してみようとされたわけです。
どちらかといえば私の感覚も、ここでいろいろなやり方を試させていただいているように思います。
しかしその試行錯誤が、自分にダメージを与えてはモトモコモナイワケデ、そのギリギリの部分で技術を駆使してお歌いになっているのです。
そこが、素人と違っているわけです。
私も漸く、こうやるとこうなるということがわかる部分が生まれてきたわけで、「今回はこういう部分を挑戦してみよう」というその時その時の自分に対するテーマを持つことができるようになってきたのだと思います。
こういう積み重ねが自分のいく方向を決めていくのだろうと感じます。
打ち上げの食事会の中で、他の受講生の方とお話ししていましたら、「歌を歌うということは自分の生きる中心なので、これがなくなったら、生きる芯というか核になるものがなくなってしまうのよ」とのお話でした。私より少し年上のお姉さまですが、皆さま感覚的には同じ感覚をお持ちなのだなあと感じました。
「よりよく生きるということ」に通じていることなのでしょう、きっと。