小さくてもスーツケースを持つと、「これから日常ではない生活へ向かいます」という象徴のように思えます

( もちろん その反対、これから日常の生活へ戻らねばならないということもありますが。)

特に駅は サミットが近いので、警戒警備のかたの姿が多く見られました。

昨日は昼の時間帯にレッスンに行き、ぎゆうっと絞られてから新宿を経由して、東京駅へ出ました。どちらも人がかなり多いのでそのエネルギーに圧倒されます。
こんな所で何か起こったら……。
人と人がすれ違いながら、東へ行ったり、西へ行ったり、その莫大なエネルギーを身を以て感じました。
飛行場とはまた何か違った、日常に近い非日常と言いますか、少し身近に感じる非日常の場です。


しかし、昔の駅の泥臭さはかなり薄くなった感があります。





かなり前ですが、イスラマバード乗り換えでトルコへ行った時
( 今時はそんな飛行機ないでしょうね。)
飛行場が昔の上野駅みたいだなと感じたことがありました。


パキスタンエアーで、イスラマバードでトランジットホテルに一泊して、次の日にトルコのイスタンブールに着くという、凄い旅程、(イスラマバードの前には、北京にもよったかな?)

トランジットホテルに行くバスは、窓は壊れているは、ガラスは割れているは、大変な有様で、そこにスペイン人の観光客などと一緒にギュウギョウの詰め込まれ、街灯もない、真っ暗な中をいきなり走りだしました。
勿論、道はガタガタ、草は物凄く生い茂っているし、どこに連れていかれるのかと思いました。

その周りに何も建物がない真っ暗な中に、ホテルのなまえが浮かんでいるのを見た時には本当に嬉しかったです。


次の日の朝といっても、何時間もたっていないのですが、飛行場まで送ってくれるバスに乗り遅れたら大変なのでほとんどで眠れなかったのです。
バスに乗って真っ暗な中を走っていたら、いきなり自動小銃を持った二人の兵士にバスは止められました。緊張がさっと走りましたが、一応、怪しいものが乗っていないかの検問だとのこと。


そうやってヨレヨレになってついた空港の風景が、「昔の上野駅みたいだな」との感想に集約されているのです。

今考えてみると、かなり危ない状況をかいくぐってここまできているのですね。
他にも結構いろんなことがありましたから。
もしかすると幸せな人生に属しているのかもしれません。