皆さま

 

今週は全国的に天気が悪くなるようじゃあな。

そろそろ冬に向けていろいろと夏仕様から冬仕様に変更したいところじゃあがこうも天気が悪いと衣替えができないのぉー。とばあさまが嘆いておる。

 

さて、そんな中、雪組公演『ベルサイユのばら』はラストスパートじゃあ。

 

今回のフェルゼン編ということもあり、フェルゼンとマリー・アントワネットの恋が中心にストーリーが展開されているの。

フェルゼンも実在の人物じゃあな。

 

ハンス・アクセル・フォン・フェルセンはスウェーデンの名門貴族じゃあなあ。

フェルセン家はドイツ系貴族で13世紀にポメライアでスタートし17世紀にスウェーデンに定住。1674年に男爵、1712年に伯爵の称号を授与している。

王室とも関係が近く実際にフェルセンはグスタフ3世の寵臣だったとされておる。

フェルセン家は普段からフランス語で会話をしておりフェルセンは5ヶ国語を話せたようだ。

 

高貴で上品な立ち居振る舞い、優雅な身のこなし、顔は憂いを帯びている

氷のような表情の下に、燃えるような情熱を秘めている

容姿端麗で家柄も良くどこか少し他の人と違う雰囲気を持った彼は、多くの女性を魅了した。

彼は生涯独身を貫いたが、当時の貴族らしく多くの女性と関係があった。

 

妹はエヴァ・ソフィーは彼が最も信頼をした人で彼女に多くの手紙を書いている。

 

そんな彼が出会い心を奪われたのがマリー・アントワネットだ。

最初に出会ったときは特に彼女に対しての気持ちはなかったようじゃあ。

1774年1月30日、フェルセンはオペラ座の仮面舞踏会に招待されました。そこにはまたマリー・アントワネットも参加しており、ここで2人はいろんな話をしたんじゃあ。

この時から2人はお互いに惹かれ始めたんじゃあな。
 

1778年8月、またフランスにやってきたフェルセンはヴェルサイユに行き、王妃となったマリー・アントワネットと4年ぶりに再会。同い年で2人とも異国の人間というのが2人の距離をより縮めるたんじゃあな。

 

フェルセンは手紙の中で「彼女は私が知っているすべての王族の女性の中で最も美しいお方です」と綴っています。

 

アントワネットとの関係を噂される中で、フェルセンはある決断をします。

フランスにいた高官がスウェーデン国王に送った手紙を読めばフェルセンの決意が読み取られる。

 

『若いフェルセン伯爵が王妃から非常に好意的に見られていたため、一部の人たちには懸念を引き起こしたことを陛下にお伝えしなければなりません。私は王妃が彼に好意を寄せられていたことを認識しており、そう信じることのできる十分な理由と、これを疑うにはあまりにも確かな証拠を持っています。

この状況において若きフェルセン伯爵は、その謙虚さと自制心をもって、アメリカへ出発する決意をしたという驚くべき行動をとりました。離れることで、彼は自分に待ち構えていたすべての危険を回避しました。 誘惑に打ち勝つために、年齢を超えた人格の強さを示したのです。ここ数日、王妃は彼から目を離すことができず、目には涙が溢れていました』

 

戦争の後、フェルセンの同志はパリに戻りますが、フェルセン自身はアメリカに残っておる。
理由は二つあり、グスタフ3世から極秘任務の遂行。もう一つはアメリカにより長く滞在して訓練を完遂させること。

 

アントワネットとも再会を果たしたフェルセンはスウェーデンに帰らずフランスに留まることを決意した。
そして自分の連隊を持ちたいとも考えて、それを後押しするように動いたのがマリー・アントワネットじゃあな。

 

1783年9月21日には、ロワイヤル・スウェーデン連隊の大佐に任命されたんじゃあ。

 

フェルセンとアントワネットの仲がより親密になり、本格的に関係が始まったのはこの時期じゃあ。

妹ソフィー宛の手紙の中で彼は決意を書いている。

『私は絶対に結婚はしないと心に決めたのです。自然に反することだとしてもです。自分が心から望んでいる唯一の方のものに、自分を愛してくださっている唯一の方のものになれないのですから。他の誰のものにもなりたくはないのです』

彼はその決心を生涯貫き通したんじゃあな。

 

しかし、フランス情勢および民衆のマリー・アントワネットに対する感情は悪くなっていくんじゃあ。

 

 

『彼女はとても気の毒ですが、並外れた勇気が彼女をさらに魅力的に見せています。私の唯一の悲しみは、彼女のすべての苦しみを埋め合わせても、彼女に値するほどの幸福を与えることができないことです。 彼女はよく私と一緒に泣きます。私は彼女を愛するべきかどうかを決めかねています』
 

そして革命が始まり、彼は国王一家の身を案じてさまざまな行動を起こす。

多くの人が知っていると思うのでここでは記載しない。

もはやフェルセンには王妃を救う手立てはない。
王妃がコンシェルジュリーに移送された後、この世で一番大切なものから全て引き離され、この悪名高い監獄に彼女は独りでいるのだとアントワネットを想っている。

手紙からは彼の苦悩が読み取れる。

『彼女を救うために私に何かできることがあれば、もっと苦しみが和らぐだろうに。それなのに何もできることがないままそこにいるのは、本当にこの上なく恐ろしいことです。私は彼女を救うために命を捧げるつもりです。しかしそのような権利はありません。 私にとってこの上ない幸福とは、彼女のために死ぬことですが、それは私には許されていないのです。彼女のために神に祈り、不幸な兄を憐れんでください』

 

そしてついに1793年10月16日、マリー・アントワネットはこの世からいなくなった。

フェルセンは絶望へと突き落とされた。

 

『なんて、なんて辛いのだろう。お前以外に私がどんな状況にいるか、わかってくれる者はいないだろう。私はこの世界にあった、全てを失った。私に残っているのはお前だけだ。お前だけは私を見捨てないでほしい。私を幸せにしてくれたあの人、私の命はあの人のためにあった。愛するソフィ、私はあの人を愛することを決してやめることはない。この世にあるものは全て、あの人に捧げてしまった・・・』

 

『彼女の面影、彼女の苦しみ、彼女の死、彼女に対する思いが頭から離れず、他には何も考えられない。ああ、なんということだ、なぜ私は彼女を失ったのだろうか、そして私はどうなるのだろうか? フランス王妃がこのような悪党どもの前に引きずり出されるほどの屈辱を与えられたと思うと、怒りが込み上げてくる。彼女の受け答えは美しく、分別があった。 神よ、このような悪党に処罰を降さないというのは、果たしてあなたの正義と一致するのだろうか。せめて私に復讐する機会をお与えください』

 

彼はフランスの民衆を憎むようになったんじゃあ。

 

フェルセンはアントワネットの思い出の品を集め始める。

 

私は生涯愛するであろうこの誇り高き不幸な王妃に関するあらゆるものを収集したいと思っている。たとえどんなに些細なものであっても、彼女に関するものはすべて私にとって大切なものだ。ああ、私は彼女に対する過ちをどれほど責めているのだろうか。今では彼女をどれほど愛していたかを実感している。私の中でエレオノールは彼女の代わりにはならない。 彼女は私にとって何と優しく甘美で、善良な存在であったことか。何と愛情深く、繊細で感じやすい心を持っていたのだろうか

 

そんな中ある日、彼の元にあるものが届くんじゃあ。

 

印章指輪の銘がフェルセン家の紋章と共に押されていた。

『全てが我が身を御身に導く』

そしてマリーアントワネットからのフェルセンへの最後の手紙に書かれていたのは

 

『さようなら。私の心は全て貴方のものです』

 

この手紙がフェルセンにもとに届くのは愛する人が亡くなってたから1年以上後じゃあ。

 

彼はどのような気持ちでこの手紙を読んだのだろうな。

 

 

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