高校生の頃の話 vol.1 | 長谷川康之オフィシャルブログ「キング・オブ・ちょいワルオヤジの華麗なる日々」Powered by Ameba

高校生の頃の話 vol.1


2つ前のブログで私の出身校の慶應義塾高校が甲子園でBEST8に輝いた話しを
書きましたが、今日は私の人生の中で、現在の自分のライフスタイルやビジネスの
根幹となった高校時代の話をします。

実は、ちょっと前の小学生時代からさかのぼると、小学校は
東京学芸大学付属世田谷小学校という、ちょっと長ったらしい名前の
国立の小学校でした。
そして、いざその学芸大付属の中学に進学するときに、クラスで3人だけ
勉強のできない子供がみんなと同じ中学に進めなかったんです。
その3人の中に私がいました。
当時、小学6年の私にとっては、人生初の挫折というものを味わい、
恥ずかしくて学校に行くのもイヤになりました。
でも残り2ヶ月位、恥ずかしい思いをしながらなんとか小学校に通い、
中学は近所の区立の中学校に入学しました。
中学に入ってからはサッカーと勉強の毎日で、成績はなんとか上位に入り、
高校受験をして補欠でぎりぎり、慶應義塾高校に入れたのです。
(ここで人生まずプラマイ・ゼロになりました。)

そして、高校に入った時は、普通のまじめな青年で、
成績も真ん中くらいだったんですが、高校1年の後半から遊びだし、
そこからはどんどん成績は悪くなる一方で、大体毎年、
次の学年に進級するとき、各クラスで3人前後、留年するんですが、
私が一度も留年しなかったのは、慶應の七不思議の1つになっていました。
勉強はそれだけできなかったんだけど、高校生活の3年間は、
通常の20代の若者が10年かかって経験するようなことを
3年で全部経験しました。

学校が終わって、もちろん直帰することはなく、
ディスコ、麻雀、ナンパ、飲み会、デート、同伴喫茶、ジャズ喫茶から
ストリップ(これも立派なShow Liveです)に至るまで、
あらゆる遊びに学校の帰りから夜遅くまで費やすワケです。
もちろん、ブログに書けないような悪いこともたくさんしました。

それこそ伝説のディスコ、赤坂ムゲン、ビブロス、六本木のソウルエンバシー、
青山パルスビートetcに行きまくり、大人の人たちと知り合い、
そこでまたいろんなことを教えてもらい、いろいろな感性を磨くことができました。
ちょうどこの70年代が、音楽、ファッション、TV、政治、
世界の出来事etc全てがエネルギッシュでサイコーの時代だったと思います。

よく行ったコンサートは、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、
ジェフ・ベックetc,海外アーティストといえばロック中心でしたが、
高校2年の時に観た後楽園球場の嵐の中のグランド・ファンク・レイルロードの
LIVEは、今や伝説化していますが、それはすごいものでした。
ちょうど、この日のLIVEはチケットが4枚あり、同じクラスの森 玄一郎君と
2人で会場まで行き、会場近くでかわいい2人組みの女の子をナンパして、
朝まで盛り上がったのが記憶に残っています。

その他の高校時代の思い出としては、よく授業を抜け出して
駅のむこうにお茶を飲みに行くんだけど、ある授業の先生は、
出欠をとる時に空いている席だけ、欠席のチェックをするので、
授業をサボるときは、机とイスごと教室の外に出し、
前後は詰めてもらうという戦略を立て、見事に何回も成功しました。
ところがその教師にはバレなかったものの、駅の近くで別の教師とすれ違い、
その教師にチクられて、抜け出したのがバレてしまいました。
この時、覚えたちょうど漢文の授業で習ったことわざが、
「天網恢恢祖にしてもらさず」です。
このようにして私は体感しながらことわざを覚えていきました。

そして、高校3年の修学旅行では、北海道の洞爺湖で
教師が「この通りは絶対に入ってはいけません!!」という
ストリップやバーがある繁華街の通りがあって、
私たち不良グループは当然、その通りをさっそく夕方チェックに行きました。
そうすると、まんまと教師のオフサイド・トラップに引っ掛かり、
その場でだ捕され、その夜、私たちは3時間、教師の前で正座をしました。
今では10分も正座できないのに、3時間も正座した経験は、
当時は最悪でしたが、今ではとてもすばらしい思い出です。
だって、修学旅行の記憶で覚えているのはそのことだけです・・・

その他、高校の文化祭史上、初めてディスコを主催し、
この時に机の上で躍らせたのが後のディスコのお立ち台の始まりです。

とにかく慶應高校っていうだけで、女子高にはモテまくったから、
毎週、合コンやデート・・・、そしてパーティやイベントをやるって言ったら、
かわいいコはたくさん集まりました。
そしてたくさんの楽しい感動を味わいました。
これが私の輝く、青春時代です。

ただ遊んでたみたいだけど、結局遊ぶところが大人の場所で、
たくさんの大人たちとも接していろんなことを学んだり、
普通は大人が観るようなものを背伸びして観て、たくさん感動したり、
今とやってることはあまり変らないんだけど、
やはり感受性が1番強い時にいろいろな経験をした事が良かったし、
そして自分の人生の感性を1番磨いたのがこの時期だったような気がします。

実は、人見知りの私が、高校生でありながら大人の社会に
たくさん接することによって、その後、プロのミュージシャンになって
自分より年上ばかりの音楽業界に入っても、気おくれすることなく、
大人の社会にフェイド・インできたのではないかと思います。

いつもうちの社員たちに言っていることは、
「我々の会社は、人々を感動させる商品をつくったり、
人々を驚かせるようなPRイベントを仕掛けたり、
いわゆる感動ソリューション・カンパニーなので、
人々を感動させるということは、自分たちがいかにたくさん
感動してきたかということが大切である!!」と
口をすっぱくして言っています。
私の場合、高校・大学時代と、たくさんの感動を人よりもたくさん
したことによって、現在のビジネスが継続できているのではないかと思います。

そして、その青春時代の感動の財産を食いつぶさないように、
現在でも日々感動することを求め続けています。




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