病気治療でもたらされた手足のしびれ
治療が終わって4か月たってもまだまだ健在
特に手先のしびれは今まで経験をしたことのない分野で
パソコンのキーも打ち間違えることが多い
包丁は
右と左の力の入れ具合の想像が
頭と手で違うので
怖い時間が長かった
おちゃっぱをすくって入れるのにも
想いの通りにすると
はっぱをばらまく
一つ一つ
立ち止まって
頭と手を一致させる作業が
一つ加わることで
作業は今までよりひと手間多くなる
時間がかかり動作も緩慢になるのだ
ただこれが
丁寧にすることにつながり
想いがゆっくりとそこに残ることに気が付く
そしてそれが心地よいことにも
忙しい毎日出ないことは
心を豊かにする
ということは
頭ではわかっていたし
日曜日の朝は
なるべくそうあるべきてきに
ゆっくりと暮らしていたつもりでもあった
しかし
手先の不自由によってもたらされた時間と空間は
たぶん元気だったら気が付けなかった隙間
隙間でありながら大きな豊かな時間
これはたぶん経験したものでないとわからない感覚だと思う
ゆったり丁寧に暮らしています
という人はたくさんいると思うけれど
それらの人々とは違う意味の
豊かさを手に入れた
病気という不幸とともに
不幸とともに手に入れないと感じられない感覚なのか
豊かに生きている方でも手に入れられる感覚なのか
興味がある
病気になってよかったという方もいるが
私は決してそう思えないと思う一生
健康なのが一番いいに決まってる
こんな思いを持たないで知らないで生きていくのがいいに決まってる
だから健康な人と病気な人は
一生歩み寄れないと思う
でもきっとそれでいいのだ
人間どちらかの人生しか歩めないのだから
子どものいる人生といない人生とか
人間欲深く生きれない生き物なのだと思う
人生は一つだけ
自分の人生一つだけ
選べない
欲張れない
そして
自分で操作できない
久しぶりにケーキ
栗が大好物の私
ロールケーキ丸々1本
夫婦2人生活には多すぎるけど
たぶんこれは夫の今できる愛情表現だと思う
ありがとう
少しづつ毎日食べる


