7月3日は私のサクソフォンの先生、大室勇一先生の命日でした。
大室先生は1988年に白血病で天国へ旅立ちました。享年47歳。
あれからもう32年になります。

高校2年生から大学卒業まで、先生のもとでレッスンを受けていました。緻密なレッスンですが、あまり多くを語らず静かな印象。でも言葉は確実に記憶に残る大切なことが多かった。それから全てを言わずちょっと考えさせるようなヒントのような言葉も。

大学に入ってからの週イチのレッスンのあとは、ほぼ毎回数人の学生と飲みに行きました。その時の先生は、レッスンとは違うハチャメチャな姿。店を出た帰りに、道で狂ったように踊って、まわりにいた知らない人まで巻き込んで踊ったこともありました。レッスンとは違う、壊れた先生と一緒に学生も壊れて楽しんでいました。
レッスンと飲み会のギャップが凄かった。

毎年命日に先生のことを思い出すというより、いつも何かのタイミングで出来事や言葉をよく思い出します。

まだレッスンに通い始めたばかり頃の言葉。

「スケールを聴いていると無機質な感じがする。たとえ音出しの時でも、君が楽器を吹く時はいつも音楽だと思って吹くとどうだろう?」

エチュードを演奏する時は表情があるのに、スケールの時はそれが無いと指摘されてハッとした。この言葉で感じ方が大きく変わりました。自分の生徒にもその大切さを教えることがあります。
他にも多くの言葉を思い出します。

「音楽は、感じることが大切だと僕は思うけど、情緒、感情的なことと、理論的に分析する両方のバランスが大切だと思う。」

「演奏しているといろいろ理屈っぽいこともあるけど、結果が良ければそれで良いと思う。」

先生は演奏について、個性も大切と話していましたが、音楽を感じて、よく考えて、深く理解することを続ければ個性は自然に生まれてくると、いろんな話の中で教えてくれたと思います。なので雰囲気だけの軽い演奏や、どうしたいのかわからない、どっち付かずなスタイルの演奏には厳しい言葉が飛んで来ました。

レッスン後の飲み会でのハチャメチャな時も、何かのメッセージを感じました。先生はそんなつもりではなかったかも知れませんが…

でも何かの出来事のタイミングで先生の言葉を思い出すのは、いつもいろんなことに結びつけて感じているからだと思います。

ところで最近の練習では、受験生だと必ずやるエチュードの、ラクール「50の練習曲」の1番から7番までなど、遅いテンポで音が少ないものをいろんなアイデアで繰り返し練習しています。
音色の変化をたくさん。フェイド インしたりフェイド アウトしたり。2小節のフレーズで吹いてみよう。4小節のフレーズで、次は8小節でなどというふうに。
フレーズをいろんな表現で繰り返し何通りか吹いてみると、とても楽しくなってくる。
音がたくさんある音楽になっても、こういう練習を繰り返していると、音が少ないものと同じことを感じられるようになってきます。
大学のレッスンでは、生徒に教えていることなので、最近自分でもじっくりやっています。

大室先生の言葉を思い出しながら。

今日は何だかまとまらない内容になってしまいました。

1593933081817

1987年私が大学生の時、第4回日本管打楽器コンクール直後にあった、F.ヘムケ氏マスタークラスから。右から大室先生、ヘムケ氏、私。(写真は音楽誌パイパーズより)

20200704_144228
20200704_143704

最近丁寧に練習している、ラクールのエチュードなど。