9日目だけど、やっとこれで元通り、1日のポカは取り戻せた。

今日は8月9日、長崎に原爆が投下された日、6日は広島この第2次対戦にあわせてブログを15日間に決めてはじめた訳でもないけどそっちに見えがちだと思うので後付けだけどそうしておこう。

本題に戻るとこの核のことだけどあえて抑止力の話はしないが、そういえば総理昨年の広島で抑止力の話。
今の原発の自然エネルギー転換の話矛盾してなかったけ。
まぁコロコロ変わるからどうでもいいけど。

日本は核と原子力分けて考えているけど海外では核らしい。
あまりわからないけど、ただこの日本は平和利用のもとで原子力を推進してきたし、当然自分も当たり前に原子力発電があったので被爆国日本としての視点と全く違う価値観で見ていた。
ただ被爆者はそうは見てなかっただろうけど。

今回の大震災、福島の原発事故で何か違うと感じた人は少なくないと思う。この国の根幹を揺るがした。
はっきり本を読んでも原発の記事は意見が分かれるので、科学的根拠なんてなにもないけど、重要なのはこれから原発事故を起こさず維持できるのかということだろう。

原発事故での対応のまずさは国民の被害全部補償できるのか?
本当に分からない。

ただ記事で人間の健康を損なう値ではないとかって 学者が書いているけどそういうことが問題なのか?
違うと思う。人間に影響があるかないかは重要だけど、前提は健康に問題があるものだということが抜けている。

現に被曝ということがあり、戦争では被爆してこの核が健康被害が大きいということは明らかで今がどうのこうの問題ではなく。
これからはどうするのかを考えるべきだ。

世界3位に危険な原発を持ってたりと今回の事故で予想外てよく言われてるけどあの被害を見れば予想外であるのはよくわかるが、未来に予測外の災害がないとは考えられない。

それで原発事故によりこの日本が住めなくなっては電気云々ではなくなる。未だ廃棄物の処理の仕方も分からないというレベルで将来原発でやっていくという選択はないと思う。原発ありきで話すのはおかしい利権だけでは自分達の子孫は守れないということになる。

足の引っ張りあい、してる間があったら復興を先に、避難している方が早く家に帰りたいが帰れないくるしさは、誰がたすけるのか?
問いたい。

核自体抑止力の効果ないのではと思う。1発で地球は泣く。











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人間の本質これは性善説か性悪説かという話になれば、個人的な意見だけど性悪説が正しいと思います。

自分がそうなのだからと思う。
何か動ける要因がなければあまり動きたくもない。

自分はいつもそうやって怠けてしまう。

ある時、難しいテストを受ける時があった
分かりやすい本、ちょっと難しいくて分厚い本、もちろん分かりやすい本にいってしまいがちになる。
ただテストに対して本気というもちろん前提だけど、分かりやすいほうを選んでしまう。ところが個人差はあるけど7割ぐらいしか覚えれてなかった。
次に難しいほうで本気で勉強したらこれも7割程度だった。
もちろんテストなので点数は後者のほうが高かった。同じテストにないにしろだいたい同じ難易度のテストでこうも差がでると本気でやるなら困難なほうを選ぶ。ようは大は小を兼ねるような話だと思う。

よく小さな目標を積み重ねたほうがいいとあるがどうも怠け者にはたいへんだ。
ところが大きな目標を立てたうえでなかなか達成が難しいものだった場合でもスタンスが変わる。
取り組みかたが変わってくるここまでするのは当たり前になるというものだ。

それとリセット可にしておくと何度でもやり直せる。

大きなこと言って自分にプレッシャーをかけるもちろん他人の批判に負けたら駄目だ。
なんせ失敗する可能性のある目標なのだから何度でもチャレンジし他人の言動に惑わされたら駄目だと思う。評価者はいつも自分だ。

このやり方でいけば7割の効果は得られないかと考える。
とりあえずがんばる。

なので日本代表は優勝を狙うといつも言ってほしい。

話を戻すと、きれいごとを言えなくなっては人間は堕落してしまうと考えている。

教育とは日本という国の制度とか社会の仕組みを知ることとやはり道徳だと思う。

知らない者は損する制度はなんの意味もない。

この日本を知らないではどうしようもない。
何か高い意志と誇りを教育の中に入れていただくといいのだが…




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7日目が途切れてしまったけど、7日目として続けていきます。

人生なんて困難だらけの連続だ。改めて思う。

精神病になれば昨日の人格はなくなってしまうことだってある。身近に精神病がある人生になるとは思わなかったが、これも人生となんとか割りきれるようになった。
この数年間で精神病の感覚がなんとなく掴めてきた。

もちろん自分も散々苦しんできた精神常態は絶えず悲観的なのだから苦しみしかない。

友人の助けがなければ本当にだめだったかもしれない。

そこの思いとどまりからヒントがあった。誰にも当てはまる訳でもないと思うけど、まずネガティブな発想から抜け出すことは人から言われてできるものではない。

友達に前向きにもっと考えたら、と言われた時(それができないから、悩んでいるんだ)と思った。

今までネガティブにならなかった自分からは考えられない。

でもどうしようもない。

だから自分は嫌いだった。でも友達は好きだし、人のためにがんばろうそう思った。

自分が嫌いでも人の為にと思った。
そうしたら、なんか、違和感があると思いながら数年間がんばった。

しかし偽善ではなく人の為にとまじめに取り組めた。自分なんて嫌いだから。

そしてある時、恋をした。

ぜんぜん反応のない相手をどうしたら振り向かすことができるのだろうか?

考えたそうしたら自分が嫌いなことに気付いた。アピールするものがなくてなんで相手が振り向くのか。と本質的な部分をわすれていた。

中身のないものに誰も振り向かないということを気付いた瞬間悩みはふっ飛んだ。

やはり自分をまず、認めることこそが全てだということが分かった。
問題があっても 向きあう力を持った。

実はまじめに取り組んでたつもりが結局中身があまりなかったのかもしれないけど、まずはこれでもいいのかもしれない。

ゆっくりでもひとつずつ変えていければと思う。

あまりなんのことかわからないけど、きっと何となく分かってくれる人が1人でもいたらと思います。

苦しんでいる人やその家族がたいへんなのは凄くわかります。

別れた彼女や姉貴には元気になれと心から祈っている。

何度でも立ち上がれる日本を希望します。





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