本当にやりたいことを我慢しながら過ごしていた時期がありました。
大検取得のために予備校に行かせてほしいと親に言っても反対されて…。
通信制高校での一年間では理科基礎、世界史A、現代社会、数学Ⅰ、国語総合、英語Ⅰを学びました。
独学でしたが、進学校で鍛えられていた私にはイマイチでした。
友人もできて、アルバイトやってるとか聞いて、羨ましいって。
その夏に親に「英語の勉強がしたいから東進衛星予備校行かせて」と懇願。
大岩秀樹先生が高校英語の基礎を教えてくれて、本当に充実した夏になりました。
母が「学校に通いたい時期に、通えなくてつらかったね」と言うようになってます。
「やすしを不幸にした」とも。
私は能開センターに通っていた時も悩んでいました。
いつも嫌でした。
人にどう見られるかとか、世間体とか気にしてばかりです。
今は大丈夫ですけれどね。
進学校では、「藝大の弟」と呼ばれて、プレッシャーもかなりありました。
私は無理やってました。
いじめを受けて、人並みに痛みを知り、通信制では「毎日、お昼の時間に勉強できる有難み」を知りました。
就職活動で立教大学、明治学院大学、日本女子大学、東洋大学…色々な大学生と向き合いましたが、返す刀があった。
英検、国連英検、TOEIC、漢検など人並みの基準値の級を持ってたのです。
兄は「地元で働けば?」と言っていたのですけれど、振り返るとそうだなあと。
東京に障碍者枠での求人も探して二次で不採用。
やりたいことだったのかな。
障碍者として恩恵も受けて、社会に還元できる何かをする。
それこそがやりたいことだと思うのです。
別に今からいい大学に行きたいとかないんですよ。
勉強好きですけれど、社会で活用できる国家資格が欲しいです。
もう一回、本気になれる何かを手に入れたい。
両親兄弟に恩返しをしたいです。
生きてること。
今、もしも自分が一人になったら家財一切合切失っても、生き抜くつもりです。
大事なのは生きて、人を大切に思い、感謝すること。
命は宝。
大好きな両親との3人生活。
焼きそば美味しくて。
料理上手な母。
一生懸命に働いて聖学院に通わせてくれた父。
ここまで生きてきた恩返しを社会にやってみたい。
昔は福祉用具専門相談員になりたくて、ヤマシタコーポレーションの二次まで行けて、グループ会話で落ちたのです。
ヤマシタコーポレーションが今でも好きです。
企業理念も素晴らしい。
ですけれど、障碍者ですからねえ。
聖学院の就職課で面接の対策やってたんですけれどね。
ま、こういう人生になるなら仕方ないか。
首都直下型地震が怖いですけれど、地元で過ごします。
困ってるなら人助けもします。
やれる範囲でやっていきます。
では。