毎週通ってる教会。
いつも、本当に感謝しています。
送迎をしてくれる父にも心より感謝しています。
こんな落ちこぼれを愛情深く受け入れてくれる。
そのきっかけは、私の通っていた聖学院大学。
教会でのレポート課題があり、指定された教会での礼拝に参加し、レポートを書くんです。
正直、聖書なんて読んだことないし、何もかも初体験です。
今は讃美歌も好きですし、聖書から学ぶことも多いです。
あと、一人じゃないと思えるんですよね。
キサと出会えたのも教会。
英語やってて良かった。
いい友達が出来て幸せでした。
彼は神奈川県で頑張っています。
私も少し具合が良くなっています。
病院の担当医も「少し良くなりました」と言うと嬉しそうでした。
そうです。
本当に地獄を見た…。
普通じゃない…。
統合失調症にはないという症状。
薬至上主義の先生は逃げた。
限度と言うまでの薬を用いても治らないんですね。
今は呼吸が改善され、幻聴(?)も軽くなってきました。
「プレマップの姉ちゃんと結婚したい」…。
プレマップとは鈴木奈穂子アナウンサー。
姉ちゃんは生きてる昔の国語の女性先生。
本当か確かめたくて電話してみると、同時期に体調を崩して長期休暇取ってるとか!
やっぱりそうか。
生霊に憑依されてるなと確信。
ここで死ぬわけにはいかない。
カルマの法則で回ってきたんですよ。
自分と向き合うことになります。
25歳で二度目の精神科入院。
食事もできない。
紙オムツ履いてる。
痩せこけて75キロあった体重が54キロまで減る…。
地獄です。
5か月たっても治らない。
セカンドオピニオンで大きい病院に行っても同じだということに。
本当に地獄でした。
でも、「生き抜くことに価値がある」という言葉を信じて、生きてゆきたいと思った。
ここで死んだら、今まで積み上げてきたものが台無し。
顎が開いて呼吸が苦しくなるという症状(?)のせいで食事できない。
痩せる。
失禁を恐れて水分を制限。
喉がカラカラ。
親に介護された日々…。
3年以上経って、呼吸が少し楽に。
飲み込みができるようになって、仰向けになって眠れるようになって…。
簡単な言葉なら話せるようになりました。
生きるって凄く大変だなって思います。
両親も弟も心配してくれて「ありがとう」です。
兄は愛情不足な馬鹿です。
助けてくれず。
「お前には学歴しか評価できる要素ないんだよ」と言うのが本音です。
作品が賛美されるわけでも無く。
どこ行っても合わない人はいるんです。
病院でもいました。
精神疾患はみんな大変です。
でも、坊さんやりながら看護師やってるのがいて「甘えてる」とか平気で患者に言う。
「お前は金のために生きてるのか?」
「本当に仏教を信じているのか?」
「俺たちが金払って、それがお前の給料になるんだぞ」
「ベテランの看護師なのに、ハンデのある患者も見抜けないのか?」
後悔してるのは、三食の食事もまともに食べられなかったこと。
本当は食べたい。
シュウマイ、エビチリ、ホイコーロー、ムニエル…。
本当に食費返せと思うくらいだった。
一日5千円。
お風呂の時間も苦痛だった。
勝手に顎が開くから呼吸も苦しくなるし、シャワーも苦痛。
ま、しょうがないんだろうけれどね。
患者同士は仲良くできたんです。
愚痴はこの辺で。
教会は憩いの場です。
呼吸が軽くなって自転車で勇気出して行ってみてからお世話になるようになりました。
生きててよかった!
江原啓之氏の本に書かれてる通り、いい出会いは自分がそういう波長を出さないとダメだということ。
この世界は魂を磨く場所。
みんな未熟ですし、愛情に飢えています。
教会のキサは「やーちゃん」と私を呼んでます。(笑)
ケニア人は「やっちゃん」という表現がないんかも。(笑)
韓国人牧師さんにもお世話になりました。
ま、昔ですけれどね。
4年前のいい思い出です。
教会に通っていくうちに、お世話になってる方に恩返ししたく、参考書を贈ってみたり、色々。
自分にできることはできるようになりたい。
バスに乗って病院まで一人で行けるようになったことが大きいです。
当時の私を知る人は驚くと思います。
78キロまで体重が増えて、軽い散歩したり、食事も咀嚼が出来ませんが少し楽になってるので。
左手尺骨神経麻痺は受け入れることにしました。
生きてると不便なこといくらでもあります。
私は愛情を注がれています。
両親も「復活した」とかいうくらいやせ細り、地獄を味わってきたのです。
ゆえに、教会に通い、共に讃美歌と祈りが出来ることは大きな収穫です。
いい思い出です。
寿命を迎えて、霊界に帰る時に守護霊と語らいたい。
支えてくれてる高級霊に有難うと言いたい。
皆さん、諦めなければ、良いことあるよ!!!
では!(^^)