今、遠回りしていて焦ってる人は聞いて下さい。

一見、周囲から遅れを取っているようでも、一番の近道なのですよ。

それは決して、いい加減にしていたり、ダラダラとやってていいという事ではありません。

私の場合、悲願の学士になれる直前に病院に隔離入院させられて、本当に残念でした。

だって、めちゃくちゃ苦労して高卒認定試験に挑み、大学受験資格を取得。

どんなに勉強しても伸び悩んでて、最後まで伸びなかった英語。

センター模試で、いつも酷い成績でした。

おまけに、私はチャレンジドで、ひとり暮らしも厳しい。

家は国立大学以外、本当に経済的余裕のない家庭でした。

自宅から通える大学を探して聖学院に決めて、やっと卒業なのに…。

聖学院の学生は結構、真面目に勉強している子も多くて、一部がうるさいだけでした。

英語の授業で英会話の時に、自分のことが上手く話せずにいて、一年間だけじゃリスニング力はつかないのかなあと思いました。

大学2年次の2007年度第三回実用英語技能検定2級に合格できたのは、聖学院でアウトプットの訓練をしていたからです。

教授陣も親切で面倒見が良くて、応援してもらって大手企業の二次試験までいけたのです。

内定がもらえないまま卒業を迎えて、肩の荷が下りると思っていたのに、統合失調症・左手尺骨神経麻痺のダブルの罹患。

でも、私は負けなかった。

私には江原啓之さん、美輪明宏さんがついて下さっている。

両氏の著書を読んでて、生きようといつも思っていたからです。

今は呼吸が微々たるものですが改善。

嚥下障害がありますけれど、ま、大丈夫でしょう。

私は担当医に「統合失調症に呼吸の苦しみや、咀嚼障害はあるのですか」と聴くのですが「前例がない」とのお返事。

やっぱりそうか!

これは霊界からの霊的試練なんじゃないかと思うのです。

女性の生霊が私に憑依しています。

母が最近、「よく、ここまで回復できたね」「いつも、洗濯物を畳んでくれてありがとう」と言ってくれます。

小さなことですけれど嬉しいです。

こちらこそ、元気でいてくれてありがとう。

世の中の理不尽な出来事に出遭うたびに、「いつか自分に跳ね返ってくるぞ!」とよく思います。

私は眼が見えない人は本当に大変だと思います。

母は「福祉センターの他のママさんから、右腕だけでしょう」と言われたらしいです。

本当に幸運です。

でも、それ以上に、せっかく大学まで行かせてくれたのに障碍者になった息子を責めないで大事に見てくれる。

そこに愛情があるのでしょうね。

そして、私も愛情を感じます。

今でも年間自殺者2万人以上います。

スピリチュアリズムでは、自殺も失敗の一つとしています。

ですが、仮に生まれ変わるとなると、マイナスからのスタートです。

本質的に同じ試練と向き合うことになるのです。

であれば、「今」乗り越えればいいのではないでしょうか。

命は世界に一つの宝物です。

そして、限りがあります。

だったら、やれることを思い切ってやってみたらいいのではないでしょうか。

3年寝太郎でもいい。

生きることは、始まった時から最期へ向かうのです。

せっかく、ここまで生きてきたのだから、やってみましょうよ!

どこかで良い彼女・彼氏ができるかも知れません。

宝くじで高額当選するかもしれません。

大切な人を悲しませないでください。

眼には見えないだけで4人の守護霊様が産声を上げる前から愛情いっぱいに付いていて下さるのです。

愛情に溢れてるのです。

私の話を聞いてても死にたいという人が過去、いました。

私は出来る限りの叡智をもってして諭しましたが、「いい加減にしろ」と思い別れました。

彼は当時、48歳。

関西学院大学経済学部卒。

清掃業のアルバイトを同僚と別れ、母親の年金と父親の遺産で暮らしていました。

色々、事情があると思いますが、ここまで生きてきたのは自分一人の力だけじゃないんだと思ってほしいです。

毎日、地獄のような3年半を送り、今でも辛い私からしてみたら「甘えてる」。

できない理由を探しているとしか思えない。

生きなきゃ損ですよ。

私なんか、彼女いませんけれど、別に困っていません。

自分のペースで生きてゆくことが大事であるということです。

両親への感謝の気持ちから、人生を踏み間違えない。

神田沙也加さんが自殺したのは愛情不足という風に感じます。

「愛情の電池が充電されないと、人は誤作動を起こす」と言います。

本当にその通りです。

私は祖母や両親、友人たちに愛情を頂いて、障がい者なのに気にかけてくれた人もいます。

ですから、生きているのです。

命には限りがあるのです。

嫌でも死ぬときは来るのですから、やれるだけやってみましょう。

好きなことやって、好きなだけ寝て。

好きな音楽聴いて。

泣いたり笑ったり愚痴ってもいい。

どこからでも人生はやり直せる。

だから、前を向いて、笑顔で生きてゆきたい。

ハンデがあることで苦しいことも確かにあったけれど、「生きて」とも聴こえてくる。

親せきで、銀行員やってた男の子が自殺をしてしまいました。

彼のお婆さんはショックで食事がのどを通らないくらいでした。

それくらい愛してくれる人を悲しませることはダメですよ。

私は聖学院に拾われて、最初は悩んでいましたが、怒りの力で「卒業」だけはすると決めて、たくさん我慢しました。

卒業式に行きたかったけれど、ま、いいか。

気の合う奴ばかりじゃなくて、傷つくことを言われたこともあります。

でも、意地で耐えました。

就職活動は地元ですればよかったのか。

答えは「NO」。

肉体労働が多くて、片腕にハンデがある私には不向きなのです。

友人は法学部を出て、なぜか地元の老人ホームで介護やっています。

それくらいなものです。

かと言って、都内の企業に勤めてればいいのか。

首都直下型大震災が起こると言われていますし、家賃もかかります。

色々と、大変そうです。

大学受験でも、苦労しました。

ですが、聖学院は2年次・3年次が充実していて、4年次は楽でした。

出来ないと思っていたアルバイトもいくつか経験できました。

靴屋の店員、塾講師、家庭教師、工場作業、スーパーのレジ・接客など。

もう、14年くらいも昔の事ですけれど、親の大変さが少し分かりました。

障碍者差別も受けたことがあります。

スーパーの社長夫人が「障碍者をレジに使うな」と。

店長が会議でいじめられるので半年で辞めました。

親がなにもしてくれなかったことに腹が立つのです。

電話でも良いから抗議して欲しかった。

父親は工場長やってて、9時ころに帰宅するから疲れるのか。

でも、現実に片腕に障害があっても雇ってくれた店長には感謝ですし、半年間のいい人生経験です。

私は何かチャレンジドの代表に向いてるのかもしれません。

幸いにも、障害は右腕の著しい機能障害と左手尺骨神経麻痺。

字は書けます。

あとは、カルマです。

どんなことでも腐らずにやり遂げて、ここという時にキチンとやれるようにしたいです。

あと、国がチャレンジドにももっと生きやすい給付金を拡充したり、サポートを強化して欲しいです。

障碍者差別を経験した身として、もっと生きやすい社会になって欲しいです。

私が立ち上がらなければと思うことが多々あります。

でも、今は自分と向き合いたいですね。

統合失調症と左手尺骨神経麻痺を克服する。

絶対に自分にだけは負けない。

元気になったら、もっと自分らしく生きてゆきたいです。

では。(^^)