私には2回、高校生活を過ごした経験があります。
高校卒業という一般的に多くの方がされた道を果たせなかった。
そういう後悔や、自責の念を活かし、高認取得後、地方の私大を卒業。
失敗の多い十代でした。
みんなが一緒だったら何も悩む必要がなかったのですが、私にはハードルが高すぎたのです。
最初の高校は勉強ばかりで、周りはライバルばかりでした。
偏差値至上主義という方が正解かも知れません。
地元では一番の高校で、自宅からも近いのと大学を目指すならここだと思いました。
でも、同級生から罵詈雑言、仲間外れ、邪魔されたり…。
本音を言いますが、ビリでも良いから黙ってテキトーにやっていけばよかった。
国立大学に合格するには、多くの時間を勉強に専念しなければならず、心身が疲れ果ててしまったのです。
二か月程度で不登校になってしいまい、通う努力をしましたが我慢できずに自宅まで歩いて帰りました。
あの日のことは一生忘れられません。
その日は夏前で、出勤前の母に「ここで行かないと一生後悔するよ」と自転車ではなく車に乗って登校。
その日は体育の時間で、学校の周辺をランニングをしていたのが終わってクラスの全員が校門前で集まってた時でした。
車から降りても誰も声をかけてこない。
孤独です。
「あ、来たんだ」みたいな感じで、あとは体育館に移動するみたいで、私はもう終わったと思いました。
本当にいい学校なら「久しぶり」とか「やっと会えたな」とか声をかけたりするはず。
体育館に行って、みんなが体育館シューズを履いてるときに、気持ちが落っこちました。
「また、昼の時間も悪口言われるんだろうな」「無視される」。
暴力を受けたならば、武力行使ができる。
でも、彼らはお坊ちゃん高校らしく、無視とか精神的に苦痛になるような制裁を科す。
自分の居場所がなくなった。
声を出すことも辛いくらい。
勉強にも情熱を注げなくなってしまって、本当にもったいないけれど、自主退学をすることになりました。
それから、障害を理由によって引きこもりみたいな生活を送ることになりました。
高校中退者で資格は英検3級だけ。
片腕に障害がある。
地元中から高校に通ってるから人間不信と心に深い傷を負った私は本当に無為徒食な生活を送っていました。
ですが、この時から「答えてチョーだい」という番組に江原啓之さんがスピリチュアリズムを述べていたのです。
変わるチャンスだと当時、悩んでる人に伝えてあげたかったくらいです。
みんなが高校2年に進むのに、自分には何もない。
でも、一個下の弟が他の高校に進んでバイトを始めて月に7万円稼いでるのに自分は障碍者で雇ってもらえないと決めつけてました。
そうするうちに、怒りの矛先を親に向けるようになりました。
毎晩、親にキレてるというか責めてました。
好きで障碍者に産んだ訳じゃないのに。
もう、私のブログを定期的に読んでる方はおわかりでしょう。
辛いものです。
ずっと家にいるのも、十代で遊びたい勉強したい盛りの私ですから、イライラするのです。
チャレンジドの多くはそういう事が多いんじゃないかなと思います。
でも、私は普通学級に通っていたし、夢だってある。
夢は今では少しだけ叶えることが出来るようになったのです。
で、大検を受けたいというようになりました。
両親に「大検予備校に通いたい」と伝えたのです。
でも、無理っぽくて、かと言って「片腕でバイトして45万円貯める」のは無理だと思いました。
そうこうしているうちに時間がたって、「通信制高校へ通いなさい」と言われました。
妥協線が通信制高校卒業でした。
私は当時の高校の人に「通信制」を勧められたのです。
親は私の冒険心よりも堅実な道を歩んでもらいたいと思っていたそうです。
月に4回スクーリングとレポート課題出すだけで高卒資格が取れるというので通うことにしました。
一年間、通いました。
でも、ここを卒業しても自分の憧れて入った前の高校をあきらめない。
通信制高校の担任が「毎日通いなさい。勉強教えるから」と面倒見がいい先生だったらこういうことにはならないと思うんです
。
担任は立教大学英文学科卒。
英語科の先生でした。
ですが、高校英語を身をもって教えてくれなかった。
多分、適当に教えてる先生で、通信制高校の英語の内容は中学校レベル。
その夏に親にお願いして東進衛星予備校に通わせてもらえることになったのです。
東進の大岩秀樹先生の講義を受けることになって、毎日が変わりました。
授業がわかりやすくて楽しい!
全日制高校の連中のいない時間帯に自宅から通い、レポート課題を出し、正月に通信制高校で単位取得後、東進の先生の方が信頼できると思い、学校は辞めることにしました。
清々しいもんです。
通信制高校でできた友達はメールで「辞めちゃったのー」と悲しまれました。
ですが、神様は私の頑張りを正当に評価してくださり、私の通信制高校入学年度からの単位を大検に組み込むことが出来ると。
国語総合、現代社会、世界史A、英語Ⅰ、数学Ⅰ、理科基礎などが受験免除になり、私の年度からは制度が変わり高認になってくれた。
生物Ⅰ、日本史Bの2科目を受けるだけでいいのです。
東進衛星予備校が縁で地元の有名進学塾の先生にお世話になることになります。
K先生は慶応義塾大学卒。
英単語熟語を一週間に単語100個、熟語50個覚えなさいと言って課題も多くて、でもいいかっこしたくて必死に付いていきました。
普通のやり方じゃないけれど基礎中の基礎である大岩先生と変わり横山雅彦先生の講義も奥が深いものでした。
夏の高認試験は前橋市で受験して無事合格!
兄に一番に「大検、受かったよ!」とメールで報告。
両親も安心してくれて、「次は大学受験だ!でも、家、貧乏だしなぁ」という思いがありました。
大阪経済大学二部なら関西だし、昔のしがらみにも解放されると思い夜、母にメールで二部に行くと伝えたら、昼でもいいと言ってくれました。
でも、障害があって下宿も厳しいし、今度辞めるようなことになったら破滅だと思いました。
自宅から通えて好きなことを、特に福祉系、異文化とか色々ありますが、聖学院のキャンパスに一回見に行き「ここだ!」と。
もう、結果をご存じの通り、4年間頑張って大学卒業できました。
スピリチュアリズムを駆使して、過去を顧みながら改良しながら人間関係に注意しながら学士になりました。
今までありがとう。
過去を振り返ることの大切さは歴史が証明しているでしょう。
私の場合、過去から学び、失敗を糧としながら過ごしています。
ロシアのプーチンのバカみたいな殺戮を見てるとスターリンとかヒトラーみたいだなと思うんです。
もう、地位や名誉も捨ててもいいはず。
過去から学べばいいんですよ。
まあ、当時は18年間を顧みるので済んだのですが、大事です。
私は困難の多い人生ですが、恩返しの人生を送ります。
今度の道しるべは37年間という自分史です。
聖学院卒の次は心の闘いでした。
病院に隔離されて、一か月入院して尺骨神経麻痺という神経の病に遭い、さらに翌年は精神疾患で5か月入院。
無難な人生なんてない!
でも、絶対になんとかなる!
悩んでる人は愛情いっぱいになれる人間に成長できる試練です。
選ばれてるんだと思うんです。
ですから、生き抜くこと価値がある。
苦労は意外な点から報われる。
この記事を読んで少しずつ前に進みましょう。
もう、片手で長文がしんどいのでこの辺で!
では!(^^)