この歌を聴くと、自分の引きこもり時代を思います。

学校でいじめを受けて、自分の居場所が無くて、引きこもりをやっていました。

大検を受けて、誰も知らないような大学に行って生きてゆきたいと親に言ったり…。

本当は国立大学じゃないと経済的に厳しい家庭環境でした。

6つ離れてる兄は高校卒業後、東京の予備校で美術を学び、私立の多摩美術大学、東京造形大学にも合格。

彼の大本命の東京藝術大学の合格発表までに入学金を納付。

相当にお金が必要でしょう。

私は当時は大学なんて自分の人生とは無縁だと思っていました。

ですが、塾に通わせてもらうようになって、英語の楽しさを知り中学卒業までに英検3級に合格。

高校も地元の進学校に無事に合格しましたが、辛い経験を経て自主退学。

本当に何度も通う努力もしましたが、引きずり降ろされて…。

適当に「私立でもいいや」という連中に悪口、嫌がらせ、仲間外れ…。

ですから、大検から大学を目指したいと思い、懇願したのですが、両親は許さずに「通信制高校」を勧めてきました。

妥協して生きるようになりながらも、私の将来を真剣に考えてくれて、「取り合えず行くか」と決め、入学。

人種のサラダボール!

本当に個性豊かな生徒たちと学ぶことを通して、自分の右腕の障害も個性だと思うようになってきました。

でも、同級生の大学進学の知らせに焦り、とうとう通信制高校の単位取得後に進路変更をします。

ひとりじゃ何もできないので東進衛星予備校に入学して、DVD講義で高認(旧大検)の日本史B、生物Ⅰを学び、合格。

大阪経済大学経営学部第二部に行きたいと母に長文メールで伝えてみたら、「お父さんがひと皮脱ぐって」と。

下宿するのは無理でも、好きな英語や英米の歴史や文化、芸術にも興味があったので聖学院大学のみを受験。

人文学部、政治経済学部に合格。

人文学部欧米文化学科を選び、本当に最初の一年間は自分と闘い、敵を作らないようにして、危ない道を避けました。

聖学院大学は教授と学生との距離が本当に近い。

悩んでて、スピリチュアリズムの本にもたびたび目を通して、自分の悩みを克服して4年間やり遂げました。

どんなことも耐えたのです。

バイトも6つくらい経験しました。

6万円が一番もらえた額でした。

大学1年からブログを始めて、塾講師とかばん屋さんの「夜Tさん」、塾講師のプロの「てぃーちさん」と仲良くなれた。

ブログは大学のパソコン室でもやっていました。

聖学院大学に行って、親孝行したいという思いは、どんなことも耐えて学位記を取るぞという思いに繋がりました。

今考えると、教員免許を取得しておけば良かった。

でも、教授は「塾講師でも立派ですよ。あなたならできる」と言われて、じゃあ、資格でも取ろうか!と決めました。

英検、国連英検、TOEIC、GTELP、漢検、観光英検、文検など受検。

目標は9割果たせました。

国連英検はB級は難しいと感じました。

大学3年次に学業成績優秀者に選ばれて、自分の名前が掲示板に載っていて、「やればできる」と思いました。

大宮駅から徒歩数分の紀伊国屋書店(?)行って図書券を参考書に使いました。

聖学院大学時代がなければ、今の私はいない。

学位記を受け取って、少しは親孝行できたかな?って思いました。

引きこもり時代に、バイトできないと決めつけて「なんで俺を障碍者に産んだんだ?」と言って母を悲しませてしまった。

母は私の右腕の障害を「やすしに苦労させた」と言っていました。

でも、大学時代にアルバイトをやって社会の厳しさを学ぶことが出来た。

私のおじは東京都立大学経済学部を5年かけて卒業し英語も堪能ですが、「1年、2年の違いなんて大したことないよ」と。

あと、「大検を受けるために予備校費用の42万円を自分で働いて稼いででも取得していれば良いのでは?」とも思いました。

中卒や高校中退は決して恥ずかしいことではないと、大学卒後、思いました。

100人いれば100通りの生き方がある。

それを小さい頃から教えてもらって、個性という言葉を正しく学びながら育っていれば良かった。

進学校時代に、虐めてきた連中は私に痛みを教えてくれたのだと思います。

名門校でしたが、偏差値至上主義の高校でした。

スピリチュアリズムを学んでいれば、また違う発想が生まれると思います。

兄が10年にひとり出るか出ないかの「東京藝術大学合格」を果たしたために、「藝大の弟」と呼ばれて圧力かかってました。

弟は県立高校総合科を出て、調理師専門学校にお世話になって、京都の懐石料理屋で修行して、今はフリーランスの料理人です。

私も地獄の苦しみと向き合いながら、七転び八起き精神で頑張っています。

前世の因果からこうなったのだと思います。

まあ、誰も信じてくれませんが。

今、引きこもってる人に言いたいのは「自分のペースを大事に」ということ。

社会のお荷物ではなく、自分と向き合ってるかも知れません。

生きてて無意味なことは起こりません。

全部、自分に必要なことばかりです。

私が片腕に障害を負ったのも、二度の高校中退も、高認合格も学士も、すべて意味があること。

精神疾患や尺骨神経麻痺に罹患したのも決めてきたこと。

自分の人生は全て自分で決めてきたこと。

あとは、逃げないで最後まで耐えて「忍耐」を学ぶこと。

そういう一つ一つを大事に生きてゆくことが幸せの近道だと思います。

悩みのない人生はつまらない。

困難を克服して開かれた世界を眺望を見て、生きてゆくを感じることができる。

私は両親に恩返し、生き直しを歩んでいます。

悩みは宝ですよ!

チカラですよ!

高校中退した人へ、ダメでいいじゃねえか。やり直そうと思うんならやろうぜ。

引きこもりへ、自分と向き合う貴重な時間。大事にしろよ。

高認合格者へ、落ちても受かっても、もう自分に負けるなよ。

今、悩んでる人へ、落ちるところまで落ちたら、あとは這い上がるだけだ!負けんな。