いま大河ドラマで「光る君へ」をやっていますが、光が当たる

上級貴族がメインですが、そういう人たちばかりでなく

光の当たらない人もいたわけです。

 

源頼光などがそうみたいで、摂関家へ奉仕していくことで出世していったようです。

984年 頼光は生まれる。 清和天皇の系統であり、清和源氏といわれる。

 

摂政の兼家に馬を30頭送ったというのも有名みたい。

道長にも接近して献身的に奉仕する。

 

1016年 都の火災のときに道長の家も燃えてしまい、再建された邸宅に豪華な調度品

を送る。

 

藤原摂関家へと奉仕することにより、但馬、美濃、伊予、摂津などの受領となる。

 

受領とは、地方へ赴任して行政を行う国司の筆頭のこと

頼光は、ここで巨万の富を蓄えて、道長へ経済的奉仕を行った。

 

大内守護にもなる。内裏を警護する。子孫が代々受け継ぐこととなる。

 

弟の頼信も摂関家に接近

道兼へと奉仕する。

花山天皇を出家へと導いたのが道兼であり、寺までいくまで花山天皇が心変わりしないように

警護していた。

しかし出世はできず、上野、常陸の国の受領になる。

 

悪徳受領があたりまえであり、中央に貢納するノルマを達成してそれ以上に集めて差額をポケットマネーにする。

 

そのお金で誰に投資するかを決める。すべりどめが3つくらいあるらしい。

本命がコケても大丈夫のように

こういうのが当たり前だった。

 

988年 尾張国 藤原元命が軍事、百姓らに国政の不当を訴えられたというものがあった。

 

都の外は治安が悪く無法地帯 東国では特に紛争が絶えなかった。頼信はその能力を発揮する。

 

 税を収めない豪族の平忠常がいた。

上総、下総で我が物顔で振る舞っていた。

頼信は討伐に行く。忠常は降伏して家人になる。

血を流すことなく終わらせる。

 

経済的利得の少ない東国で、武勇と知力で名声を上げていた。

 

1028年 平忠常 国司を焼き殺す。

平直方が追討に向かう。宿敵だった。

3年続いた。更迭されて、頼信が向かうことになる。

 

1031年 忠常は降伏する。都に向かう途中に病死してしまう。

息子はまだ降伏してなかったが、頼信がこの二人の処分について助命嘆願する。

 

恩賞として美濃の国の受領となる。

平直方にも接近する。息子の頼義と直方の娘を結婚させる。

直方が持っていた鎌倉など平氏の拠点が源氏のものになる。

 

80歳にして河内守に任じられる。

子孫が河内源氏名を高めていく。

 

前九年の役(1051年から1062年)頼義が活躍。奥州の反乱を鎮圧する。

後三年の役(1083年から1087年)義家が武名を上げる。

 

頼信から6代後の頼朝 平氏打倒の兵をあげるがやぶれて房総半島へと逃げる。

その時に馳せ参じたのが、千葉常胤、上総広常の頼信が命を助けた忠常の息子の子孫だった。

頼信に助けてもらった恩義を頼朝の代で返した。