桓武天皇について放送していました。その中で興味深かったのが百済王氏との

関係でした。

 

桓武天皇は、即位したとき反対するものも多かったようです。

桓武天皇の母が、百済の渡来人系の高野新笠であったこともあったみたい。

 

かつてつかえていた大友氏などがクーデターなどを企てていたが止められる。

また仏教勢力も反対のようだった。

 

そこで桓武天皇は、都を長岡京に遷都する。

豪族や仏教寺院から離れるため。

 

また桓武天皇は、権威を高める必要があった。

 

天神を交野にまつる。郊祀というものを行った。

天神とは、天帝のことで、中国は古来から王都の南に円丘をきづき、

毎年冬至に天帝を祀る儀礼をおこなってきた。

 

桓武天皇も同じように交野の地、この儀礼をおこなったとされている。

郊祀という。

大阪府枚方市の杉ケ本神社のあたりでおこなわれたといわれ

ている。

 

また桓武天皇は、百済王氏との結びつきが強かった。

郊祀においても、日本国内にとどまるのでなく、外国の客が来てくれないといけない。

中国の王がそうであったように。そこで百済王氏が参加する。

 

また百済王氏の高い文化や技術を高く評価したようで、官位を与えたりした。

 

百済王氏が交野に拠点をおいていたことから、郊祀も交野で行ったのではないかと思われる。

 

百済王氏とは、百済王族の末裔である。百済は、660年に滅亡する。663年白村江の戦で国家再興

の望みがたたれる。日本にきて朝廷につかえるようになった。

 

鉱山技術を有しており、百済王である敬福の時代に陸奥の国で黄金を発見する。900両を東大寺の

大仏の鍍金するため献上した。その功績が認めれて、交野守になったことがあり、一族が交野群に

移住したのではないかといわれている。

テレビにもでていた禁野本町遺跡。私も現地説明会に参加していた。

 

大阪府枚方市にある百済寺跡

 

禁野本町遺跡公園といい、百済王氏の邸宅があったらしい。