NHKのザ・プロファイラーで浅井三姉妹をやっていた。再放送だったけど興味深いものだった。

 

気になったところだけ上げると

淀殿が、秀吉に父と母の供養をお願いしたことだった。

浅井長政とお市は有名だけど、京都の養源院が菩提寺とは知らなかった。

今も二人の肖像画があるらしい。淀殿は、妹のことを考えて秀吉の側室になったと言っていた。

それと妹の嫁ぎ先もお願いしていたみたい。

 

淀殿を三大悪女などという人もいるらしいが、私はそんなことはないなとこのことを聞いて思った。

家族思いの淀殿だと思うし、ドラマや小説で悪女にした方が面白いからではないかと思った。

 

別の番組で「関口宏の一番新しい中世史」の専門家の人も、淀殿を悪女という人はよほど歴史を知らない

人だろうと言っていた。

私もそう思った。

 

お初は、京極高次の正室になる。大津城の城主である。大津は交通の要衝になる。関ヶ原において

西軍の石田三成や東軍の徳川家康から誘いを受けていたらしい。

 

高次は、東軍の家康につくことにする。

 

淀殿は関ヶ原の時は、家臣同士の争いということで第三者的の立場だった。

しかし、三成が豊臣家の名目で戦うということで初に三成につくように使者を大津に送ったらしい。

しかし初はことわる。夫の決断を支持することにする。

 

1600年 西軍の三成の大軍が籠城する大津城を攻めてくる。

かなり激しく攻撃された。再び大坂城から使者が来る。淀殿と北政所によって、初は助けられた。両軍に

停止命令を出す。北政所は、家康とも親しいし、豊臣家にとってはグレートマザー的な存在であるので

三成も聞かざる得なかったと思う。

 

この大津城開戦と同時に関ヶ原がおこる。

 

大津城で足止めを食らった三成1万5千の大軍は関ヶ原に間に合わなかった。

立花宗茂と筑紫広門という猛将は間に合わず。この人たちが加わるとどうなるかわからなかった。

 

家康は、高次の功績をたたえ若狭の土地を与えた。

初と高次は穏やかな日々を手に入れることになる。

 

大坂の陣では

 

淀殿と江はお互いに対立する立場になる。

江は、秀忠の正室となっていた。

 

大坂の陣での仲介に入ったのが、初だった。和平の交渉に乗り出す。

両陣営ともつかれていたため、家康から頼まれれる。

淀殿を懸命に説得する。和平が成立する。

 

しかし大坂夏の陣においては淀殿の決意は固く、止めることはできなかった。

 

初が交渉にあたるのは、江と違って身動きが取れる立場でもあり、1600年の大津城の時に

助けてもらった恩義も感じていたからではないかという。

 

江は養源院で淀殿と秀頼の供養をする。

 

江は、将軍家の礎をきづいていく。

人質として大名の家族と交流する。緊張を和らげることなどしたようだ。

1620年 江の娘 和子が後水尾天皇に入内する。皇室とのつながりをつくる。

また大奥の礎をつくっていった。

1623年 息子の家光が3代将軍になる。

 

自分たちが二度の落城を経験したことから、江はいつも平和を願っていたそうだ。