1615年5月6日 道明寺の戦い
5月5日 徳川軍は、二条城から河内、大和ルートの二つに分けて道明寺に集まる。今の藤井寺市のあたり
大和ルートは、豊臣の後藤又兵衛が敗戦。そのあとに遅れて真田信繫がくる。伊達政宗と戦う。
河内ルートは、別の場所で八尾若江の戦いがあったが、豊臣は敗戦。真田は孤立して、大坂城へと引き上げる。
豊臣軍、全勢力を城の南側に展開
天王寺、岡山の戦い
茶臼山に真田が陣取る。真田の赤備えが出てくる。赤備えといえば最強の武田軍 武田軍をそのまま引き継いだ
井伊直政だが、本家は真田という。 その赤備えの真田がいるので若い衆はびびったらしい。
しかし真田信繁は、家康をあと一歩というところまで追い詰めながら敗戦する。戦死する。
5月8日 秀頼の家臣 大野治長は、千姫を使者として、秀頼、淀殿の助命嘆願を託す。しかし秀忠は、「冬の陣で秀頼
の命を助けたが、また謀反を起こした。二度目の助命はない。」と娘の訴えを認めず。
大坂城に対して、攻撃をやめず。助命を受け入れられないと悟った秀頼、淀殿は避難していた蔵で自害する。
大野治長、毛利勝永ら約30人も自害する。
大坂城は炎上し、落城する。
家康の言うとおり、3日で終わった。
また、秀頼が薩摩まで逃げて生きていたという話もあるらしい。テレビ番組の専門家が私は信じているといっていた。
関口宏の一番新しい中世史は、これで終わってしまった。平安時代からやっていたらしいが、私は途中の室町時代くらいから
見ていたと思う。あまりにも長くやっていたので忘れてしまった。かなり勉強になったが、やはりすぐ忘れてしまう。
まあそれでもいいんだけどね。次は、江戸時代をやるらしい。