土佐出身のジョン万次郎。 1841年 14歳の時に漁船に乗り込み

鳥島というところに漂流する。

 

捕鯨船のウィリアムホイットフィールドに助けられる。

アメリカでいろんな教育を受ける。また捕鯨船で世界をとびまわる。

かなりお金をもうけたようだ。

 

アメリカ人の捕鯨船の人が日本に漂着したときに、かなりひどい目にあった

ことを気にしていた。何とかしたいという思いもあり、日本へ帰国する。

 

琉球につく。今の沖縄だけど薩摩藩の領域になるみたい。いろいろ尋問を受ける。

薩摩藩主の島津斉彬は、西洋の技術を取り入れたりしていたため、ジョン万次郎の

話に興味を持っていた。蒸気船の話などもしたようだ。

 

私が篤姫を見ていた時、ちょうど島津斉彬がペリーが来る頃で、海防のために蒸気船を

つくるという話が出ていた。おそらくジョン万次郎から聞いたのかもしれない。

 

1853年 黒船のペリーが来航する。

ジョン万次郎が呼ばれる。アメリカのことをいろいろ聞かれる。

老中 阿部正弘はこのままではもったいないということで、ジョン万次郎

を幕臣にする。

 

1854年 日米和親条約

漂着したアメリカ人を保護したり、薪や水を便宜することを約束する。

ジョン万次郎の目的がここに達成される。

 

この際通訳で参加するはずであったが、徳川斉昭らの攘夷派に万次郎はスパイではないか

と疑われ、通訳を果たすことができなかった。

 

ジョン万次郎はいろんな人に影響を与えたようだ。坂本龍馬もその一人らしい。