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果しなき流れの果に

文筆業を生業とする1970年生まれ。好き勝手ばかりしてきた20。人生について考え始めた30代。ここから先、40代は「誰かのために」をキーワードに書き続けます。弱い自分をさらけ出せる事を目標に進化前進。仕事の依頼も随時受け付けます。

 とにかく、『SHIROMARU-BASE』はエネルギーに溢れた店舗だと感じた。オープニングスタッフの熱気は最高。きびきびした動きは清清しく、ラーメンをより一層美味しく感じさせてくれた。
 もちろんまだオープンしたばかりなので、これからさまざまな問題に直面するはずだ。しかし、初心を忘れず、そして笑顔と感謝の気持ちを忘れない『河原イズム』を胸にまい進していけば、これからもっともっと素敵なお店になっていくはず。そんな予感がした。
 店の良さは空間の演出力が勝負。心地良い空間を、商品とサービスでどうやって作り出していくか。30分間の滞在時間をいかに楽しんでもらえるかを考え、知恵を絞る。それこそが何より大切なのだとあらためて感じた。
 ちなみに昨日は視察がてら一風堂横浜店にお邪魔しました。こちらも負けず劣らず良い雰囲気を醸し出していました。コンセプトの違う兄弟点の出現は、既存の一風堂にも良い影響を与えていくだろう。
 来週からはいよいよ河原さんのヨーロッパ遠征取材。何が待っているのか、何が起こるのか。いまから胸が高まる。FIN
$~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
 本日は『IPPUDO TAO TOKYO』のレセプション取材のため銀座に行ってきました。TAOとしての一風堂は、博多、シンガポールに次いで3店舗目。既存の一風堂とは若干メニューを変えているが、基本は同じ。笑顔と美味しいラーメンを、心地良い環境で提供すること。違う点を上げるとすれば、日本ならではの格好良さ、クール・ジャパンを、「ラーメン」と「和太鼓」の融合でより伝えようとしていることだ。関東エリアでの『IPPUDO TAO』を、あえて既存の一風堂そして五行のある銀座に出店した理由も、そのあたりにあるのではないか。
 一風堂は、単に美味しいラーメンを提供するだけではない。そこに文化なり、誇りなりのメッセージを届けるために存在する。一杯のラーメンというメディアを通して、さまざまなメッセージを世に配信していきたい。そんな心意気が感じられた。
 
 レセプション終了後は大森に移動し『SHIROMARU-BASE』へ。こちらは「草食男子へ! ドロップキック」をキャッチフレーズに、「これぞ博多の豚骨!」と言わんばかりのストレート勝負のラーメンを提供する。 試食の感想は、濃厚なのに臭みのない豚骨スープと細めんが「これでもか!」というほど絡み合った麺が最高。懐かしいような、でも新鮮。店内も程よくおしゃれで程よくチープなインテリアが◎。大森という昔ながらの飲み屋のひしめく大森という街にもマッチしていて、若い男衆にはかなり受けるのではないかと、個人的には予想しています。
 
 そして……。
 今日は久々に河原さんともお会いする事が出来た。レセプション後のアルバイトさんに向けた社長講和に出席したのだが、相変わらず夢と情熱が溢れていて、たくさんのエネルギーを頂くことが出来た。以前も書いたかもしれないが、自分も若い頃、河原さんのような上司に出会えていたら、と思う。「たられば」はなるべく使いたくないが、本当そう思う。
 ボクサー、ミュージシャン、エステティシャン、医者の卵、役者……。などなど、さまざまな夢や希望を持った若者たちが集まっていたが、彼らに送る河原さんのメッセージには、愛情がぎっしり詰まっている。

「夢は人から与えてもらうのではなくて、自分で見つけるものだ」

「一風堂で働いたことを、いつか社会で生かせるような人間になって欲しい」

「俺たちは、単にラーメンを提供しているんじゃない。社員もアルバイトさんも関係ない。みなが大切な仲間なんだ」

 そうした言葉のひとつひとつが、仕事とは何かを教えてくれ、仕事に対する誇りを与えてくれる。だからこそ、一風堂で働く人たちは、みな生き生きしているし輝いて見えるのだ。
「一風堂」の魅力は、そのまま「河原成美」という人間の魅力。いつも一生懸命で、夢に本気で、真っ直ぐで。こんな飲食店グループはなかなかないのではないか。逆に言えば、なかなかないものを築き上げたからこそ、いまの「博多一風堂」はあるのだ。
 
 明日は『SHIROMARU-BASE』のオープンに行こうと思う。
 河原さんの情熱、そして、それを慕うスタッフの笑顔に会うために。FIN
最初の一風堂は1985年、大名一丁目の路地で誕生した。もう完璧に路地裏だった。さすがにいまは26年も経っているから、あのあたりの様子は変わったけれどね。とはいえ、いまも寂しい場所。で、当時はもっと寂しかった。もののけがたまっていそうな雰囲気で。
店の場所は、路地裏の、表通りまでは80メートルくらい。でも「そんな物寂しい場所に光が灯っていたら、絶対カッコいいよな」と直感的に思った。「表通りから奥のほうに見える場所に灯が見えて、何かのきっかけで、そのお店が良い店だと知ってもらえたら、きっと流行るはずだ」と。FIN
俺、全然賢くないの。普通だったら、お店を訪ねたらメモをしたり、データをとって「そうか、このラーメンはこんなふうにして出来たのか」とかやったほうが楽だと思う。わかりやすいし。でも俺は、自分が怠け者であるという事以上に、いまでもそうだけど「そんな事をしても何もならないな」と思っている。ひょっとしたら、この考え方は間違いかもしれないけどね。最近はそれでも、人に伝えるためにデータ集めはする。ただ、自分自身のためにとるという事はあまりないかもしれないね。FIN
 年商80億の会社が毎年10億ずつ投資できるわけがない。当然、借り入れもしなければならない。そんなことをやっていきながらお店を出している。これはなかなか珍しいと思う。普通の経営者はしないよね。それも58歳にもなったおっさんなら余計しない。でも僕はする。日本、海外問わずお店を出し続ける。なぜかっていうと、今年は俺、勝負の年だと思っているから。 FIN
 お店、商売というものは、ある程度ポピュラリティーというか、大衆性がないといけないこともわかっている。でも僕は、それはちょっと……ね。アフターザレインをしていた頃からそうなんだけれど、最初は、文化的な活動をしている若い連中やそれぞれの分野でイノベーションを起こしたいと思っているような人たち。そんな人たちが好きになってくれたり、あるいはそういう人たちと流れが一緒の、洒落っ気のある人たちが集まるような店が作りたいなと思う。単に胃を満たせば良い、みたいな考えの人たちで埋まってしまうような店は、僕は作りたくない。FIN
 海外でお店を出そうとしているのに「俺はラーメンだけで勝負する」とか言われると、「何の勝負何だ!?」って聞き返したくなる。「あなたの言う所の、『勝負』って何ですか!?」と。「一風堂、あそこは何だ、ラーメン屋なのに、いろいろなメニューを置いているじゃないか」と言う人もいる。でもそうしないと「海外では、一番伝えたい『日本のラーメン文化』自体も、カッコいいもの、素晴らしいもの、文化として認めてもらえない土壌があることをどうして勉強しないのか」と言いたいな、俺はね。 俺はラーメンを日本の文化として伝えたい。ファーストフードのような食べ物とは思われたくないからさ。FIN
修行時代の極意

「そこに行く、食べる、感じる」

FIN
「女性にもてるかどうか?」って?どうだろうな。優しいは優しいかもね。俺、気遣いはするから。マメですよ、僕はやっぱり。連絡をいつもとったりとかはないけど、お茶を持っていったら、どう出そうか、とか。寒そうだったら、「寒いでしょう」と言って、すぐ温度を調節したり。「暑くない?」とかいって窓をあけるとか。相手にとって、居心地の良い状態をつくる事は、無意識のうちにいつもやっていますね。FIN